(社会)なんで歴史なんて勉強しなきゃならないの?

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

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金曜: 社会
土日: それ以外

もはやおなじみの話題ですが。。。

ぼく自身も、その当時はそう思っていましたから、誰もが疑問に思うことなのでしょう。

それが、小学生なら当たり前だと思います。

しかしそれが、高校生や大学生、それ以上であれば、、、


ちょっと や ・ ば ・ い ・・・


現実には、東大生でも単に暗記ゲームだとしか思っていない人もいますが。。。



何が『やばい』かというと、

自分で決断したことがないんじゃないか?

その経験が不足しているのではないか?



ということです。

人生は、選択と決断の連続です。


□ この道をまっすぐ行くか、先に道路を渡っておくか?

□ 今テレビを見るか、ゲームをするか、それ以外か?

□ 傷ついている友達に、何と言葉をかけるか?

□ 将来何をするか、進路はどうするか?

□ 誰と結婚すれば幸せになれるか?


多くの問題は、一過性の問題です。

つまり、やり直しはききません。



逆に、やり直しのきく問題であれば、どんどんやってみればいいのです。

それは、『科学』



しかし、やり直しのきかない問題に直面した時、

自分が、最適な決断をしなければならない状況に追い込まれた時、

そして、自分が『適当に』やっても、決して物事がうまくいかないことを知っているとしたら、

過去の事例、他の人がどうやったか?

それを参考にしたいと思うのは、当然のことであり、

また自然に誰でもやっていることだと思います。



それを、もう一段拡大解釈して、

『歴史を学ぶ意味』

に発展させることも、そう難しくないはず。。。



一過性の問題を、自分で考え決断する



周りがあれこれと手を回し過ぎると、

そんな経験がないまま大人になってしまいます。


それは、ちょっと恐ろしいことだとぼくは感じています。



確かに、学校の歴史の授業はひどいかもしれない。

でも、それとこれとを一緒にしてはいけません。

学校の授業がひどかったとしても、

だから人生救われるということはありません。

(過度の平等主義の人は違うことを言うかもしれませんが、
それが現実だとぼくは思います)



普段の生活の中でも、

ちょっとしたことでも、

自分で決断して、その結果に責任を持つ

そんな思考習慣は、

個人としてはあった方がいいと思います。



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^^ 

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