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勉強とスポーツの似たところ

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


いつの間にか、高校野球も始まっていました。
そんなことも気づかずに、
右のような本を読んでいるなんて、
【運動バカ】を目指していた高校生のころには
想像もつきませんでした。

といっても、それほど勉強嫌いだったわけでもなく、
ちょっと地味めのものに(笑)、
いろいろ興味を持っていたように思います。

学校の成績は、、、大したことなかったですが、、、
一度だけ、数学の模試でものすごくいい成績を
取ったような気もしています。
(いいと言っても全国1位とかそんなんじゃないです(笑))

何者でもなかった、ただ漠然とした期待感だけがあった。
あの頃、ぼくたちの周りにあった光子の中には、
いま頃、こと座のベガあたりを飛んでいるかもしれません。

ぼくという粒子も、ブラックホールに吸い込まれることなく、
広い宇宙の中を、飛んでいます。
コースはずいぶん変わりましたね。
昔は自分のこと、目先のことしか所詮考えていませんでしたが、
今は子ども世代のこと、20年後のことしか考えていないように思います。


★ 勉強とスポーツの違い ★

特に男の子の場合、スポーツが好きな子は多いですね。 そして、スポーツが得意な子の中に、勉強が好きではない子も多いですね。 「おれは、そっちじゃない!」 と思っている雰囲気がプンプンします。
でも、何がそんなに違うのかな。
さわやかさは、決定的に違うね。
   スポーツの人に比べて、    傲慢だったり、陰湿だったり、不摂生だったり、    だらしなかったり、引き際がみっともなかったりするだろうね。    でもそれって、本当はあんまり勉強してない人たちだと思うよ。

おもしろくない?
   本当に?それって単にできないだけじゃないの?    できたら、楽しいんじゃないの?    その程度の好き嫌いは、認めません(笑)。    自分ができないからって、対象(相手)まで否定するな!

こんなの役に立たない?
   本当に?    球を投げたり、打ったり、わざわざ足で蹴ったりすることも、    何の役にも立たないでしょ。    人間役に立たないことが大好きなんじゃない?    むしろ、勉強はちょっと役に立ちそうなことを周りが言うから、    鼻につく!
   安心してください。    勉強だって、何の役にも立たないから。

★ …

小学生にとって大事なこと

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


今の仕事を始めて、
子どもたちとたくさん接するようになってからずっと、
頭を悩ませていることがあります。

誰か助けて。


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それは
今の小学生って、祝日とか、いつから春休み(夏休み・冬休み)かとか、
重要な情報じゃないの? ということ。

自分の記憶が間違っているのかもしれないけれど、
ぼくが小学生のころは、
祝日(つまり、特別に学校が休み)って大切な日で、
何して遊ぼうか、早く来ないかなと、心待ちにしていたように思います。
連休なんてあろうものなら、ものすごく幸せ!
誕生日やクリスマスほどでないとしても、
記憶すべき日であったと思うのです。


もしかしたら、『ドラえもん』のおかげかもしれません。
【ぐうたら感謝の日】
つまり、のび太レベルだった(今も?)ということ?


ところが、ぼくが普段接する子どもたちは、
祝日とか、いつが終業式かということを、あんまり知らないんですね。
興味ないみたい・・・
中学生や高校生でも、知らない子結構います。


どうしてなんでしょう?


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とりあえず、仮説として考えていることは、以下の3つです。

【仮説1】 休み多過ぎ

   ぼくが子どものころから比べて、祝日は増えましたし (みどりの日、海の日)
   また、ハッピーマンデーとやらで、日付が不確定になりました。
   有り難味も何もないんだろうな。

【仮説2】 予定を立てない

   今の子どもたちは、とっても忙しいです。
   休みとあれば、やれ○○に行く、○○をする、
   というの前から、おとなが決めてしまっていることが多いのではないでしょうか。

   極端な例では、ある中学生は、
   夏休みの1か月前に、すでに、「今年の夏休みは空いている日が3日しかない」
   といっていました。

【仮説3】 遊びが変わった

   今の子どもたちは、ゲームで遊ぶんですね。
   ゲームをするのであれば、ちょっとした空き時間にもできるし、
   友達と約束をする必要もありません。

   これが、野球をしたいと思ったら、そうはいきません。
   ある程度の人数で約束しなければならない。
   特別な日に、特別なことをしているって感覚があったと思います。


「正解」なんて出ないと…

児孫のために美田を買わず

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


ことわざなど好きで、
おとなになって、今とは違う仕事をしているときも、
突然、『ことわざ辞典』みたいのを買ってきて
眺めていることがありました。


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『児孫のために、美田を買わず』

西郷隆盛の言葉だそうですね。


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ぼくのまったく個人的なことになりますが、 今の仕事をするようになったきっかけは、
「子どもに、何を残せるんだろうか」
と思ったことからでした。
前の仕事を続けていれば、 いわゆる裕福な生活ができ、だいたい欲しいものを買ってあげ、たまに豪華なもの食べて、 広いおうちに住んで、家族で海外旅行などもし、
いわゆるいい学校に入るために、お受験とかもしたんでしょう。 それは、いわゆる幸せな家庭で、 親の目の届くところで、不自由なく育っていって、 本人も、それを満足していて。。。
悪くない。

しかし一方では、
その幸せは、親のエゴじゃないかな、とも思ったのです。

もし、子どもの頃が一番楽しかったよね。。。ということになったら、ちょっと悲しい。
おとなになった時に、『今が幸せ!』と感じてほしいし、
そのために努力もし、我慢もし、自分でつかみ取った幸せを実感してほしい。
子どもは親のペットではない。
狩りの仕方、敵からの逃げ方、戦い方、困難に陥った時の生きる知恵・・・

ぼくがすべてを知っているわけではないけれど、
ぼくが学んだことの一部でも、伝えられたらな。


いやー、そんなの面倒くさい。。。
お金さえあればいいんじゃないの?
         じゃあ、いくらあれば安心なの?
赤信号みんなで渡れば怖くない。
         怖くなくても、事故に遭うよ。



面倒くささを脇に置いて、全体状況から考えてみました。



天の時、地の利、人の和。
◇ 人口減少問題は、とうの昔から見えています。
   問題の先送りは、今に始まったことではありません。    多数決の支配する政治での解決は、ちょっと期待できない。
   時代が激しく動いている中で、硬直化した教育システムは、ちょっと頼りない。
   時代が大きく変わるとき、
   それまでの『正解』が、まったく逆になるということは、
   歴史が示すところです。
   こういう時は、大きなものにすがりつくより、
  …

一条天皇と后たちのものがたり 『源氏物語の時代』

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



女の子の進路相談って、

男の子以上に難しいと感じています。



男女を区別するなんて、古臭い、偏見だ。

そう見られるのもある程度覚悟の上で、

やっぱり、男の子にアドバイスするときと違う要素まで

考えてしまいます。



そんな個人的な悩みを持ちつつ、

『源氏物語の時代 - 一条天皇と后たちのものがたり』

読みました。





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本書は、

「言葉も生活も、これだけ古典世界を離れてしまった以上、

今は研究者にこそ<伝えてゆく>責務があるのかもしれません。」

と、『はじめに』にあるとおり、とても丁寧に、一貫した落ち着いた口調の中で、

ぼくのような古典に疎い者でも、その世界観を少し感じ取ることができ、

さらなる興味を引き立てる、そんな本でした。


現代のぼくらの理解を少し助けてくれるために、

それぞれの人物が少しずつ個性化されていますが、

決して無理のあるものではないと思いました。

むしろ、できるだけ先入観を取り払って、具に資料を読み込んだ中で、

自然に浮かび上がってくるもの。



生真面目で、自分を抑え、理想と現実のはざまで理想の側に軸足を置く一条天皇。

藤原摂関家の父と受領階級の母を持ち、

明るくて華やかで、教養深く、細やかな優しさで周囲を包む定子。

定子によって教養が、理想へのあこがれを強くする一条天皇。

後見をなくした定子と一条天皇の、誰も止めることのできない愛。

定子の悲しみを背負う清少納言。

無垢な彰子。

一条天皇の心は定子にあることに気づきながらも、寄り添おうとする彰子。

定子の遺子に愛情を注ぐ彰子。

彰子をかげから支える紫式部。

八十七年の生涯を終えるまで、一条天皇を語り、天皇家を守り続けた彰子。

その他さまざまな人物や事件が、

豊富な古典知識ともつながって、

『源氏物語』の人物や場面に、結晶化されていったのでしょうか。



個人的には、頼道という人に興味があります。




さて、はじめの話に戻って。

流行りのコミュニケーション能力やグローバル人材でなくても、

地に足の着いた、しっかりとした教養があれば、

たとえ逆境にあったとしても、

個人としても、

妻としても、母としても、

一家を守っていく立場としても、

よい人生が送れるのではないかと思いました。




個人的つながりとは関係なく、

純粋に、読んでよかったな…

1+1=2、とは言えないよね。 (算数を見直そう。まずはたし算から)

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


1+1は、3にも4にもなるよね、

っていう、ビジネス本的な話ではありません。

2進法を使ったりという、難しい話でもありません。

小学生が、普通に、ふつーに経験すること。









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言ってしまえば、なんだ、と言われますが、


問。 1Lの牛乳と、1dLの牛乳があります。

      あわせて何dLでしょう。


あ、バカにしないでくださいね。

これ(単位変換)って、つまづきやすいポイントです。

その話は今回は置いておいて、

単に数字を足し算すればいい、ということじゃないという例として、

もう少し、別の問題を。


問。 リンゴが1つあります。みかんが1つあります。

      あわせていくつでしょう。


小学校1年生の教科書に出ていそうな問題ですよね。

でも、この問題おかしい!と思うのはぼくだけでしょうか。

この辺から、ちゃんと考え直して、問題を作るべきだと思うんです。

もう少し極端な例にしていきますね。

問。 アリが1匹います。クジラが1匹います。あわせて何匹でしょう。

問。 アリが1匹います。折り紙が1枚あります。あわせていくつでしょう。

問。 あきらくんは、身長130cm、体重30kgです。あわせていくつでしょう。

もうここまで来れば、明らかにおかしいですよね。

「足せない」 もしくは、「合わせても意味がない」。


戻ります。

問。 リンゴが1つあります。みかんが1つあります。あわせていくつでしょう。

りんご1つ、みかん1つ。

数字上、足し合わせれば、2つになるけど、

それで何がしたいのでしょう?

何がわかるというのでしょう?

みかんなんて、剥けばたくさんになっちゃうし・・・

意味を考えると、逆にわからなくなる。

むしろ、意味を考えない方が、算数はできることになってしまう。



足す、合わせるという操作は、

同等のもの、同種のもので、

その後、同じように扱っていいもの、扱いたいものに対してのみ為される。



そんなこと、誰も教えてくれないのですが、

それが当たり前として、自然に身についているか、

わからないけど、計算はできるからそれでよしとするか。

子どもたちが、心の中でどう感じているか、

それは、眼で見ることはできません。

数値で測ることも、おそらくできないでしょう。


しかし、

あとあとまでも、勉強の好き嫌いを左右しているように…

学校選びが、とても悩ましい件 (中学入試編)

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


どこかの、かっこいい学校に入ることが、
勉強の目的ではない。


そうはいっても、どこかの学校を選ぶ必要は出てきます。

ぼくもよく相談を受けるのですが、
とても悩ましいと思っています。



今回は、中学入試編として、
今時点で感じていることをまとめておきます。


========


東京および近郊で、中学を選ぶとすれば、選択肢は主に、以下のようになります。
A: いわゆる御三家と呼ばれる学校に代表される難関私立校
B: 大学の付属校
C: 中堅の私立校
D: 女子校
E: 公立中学
F: 中高一貫の公立中学


ぼくが知っている限り (つまりは、そこに通った生徒さんを見たり、生徒さんから聞いたこと) で、
それぞれの良いところ、物足りないところを挙げると、
以下のようになります。


A: いわゆる御三家と呼ばれる学校に代表される難関私立校

   ○ 授業内容は、さすがと思えるものが多く、
     そういう環境で勉強できることは、幸せだろうな。

   △ 授業内容は、かなり抽象的な高度なレベルになるので、
     一度ついていけなくなると、挽回が大変。
     すると、特に男子なんかは、勉強じゃない方向に意識が向いてしまうことも。
     ○成で成績が下の方でも、世間的には勉強かなりできる方だからね
     逆に、ギターやサッカーが、○布で一番うまくても、世間的には・・・
     中学生であれば、いろんなことに興味を持つことはいいと思いますが、
     そして、勉強も別にやれば、遅くとも高3までには追いつけるであろうに、
     投げ出さないでね。


B: 大学の付属校

   ○ こちらも、考えられた授業や、先生の意気込みを感じる授業があります。

   △ 生徒側が、そのテンションについていけないことが、ままあるかなあ。。。
     ある意味、既得権者になってしまって、
     このまま大過なく、ほどほど、そこそこやっていればいい、
     ということが、先輩などを通じて、伝わっているんじゃないかなと感じます。
     おもしろがって、「よーし、やってやろうじゃないか!」と思えれば、
     もっと楽しめるんじゃないかなと思います。


C: 中堅の私立校

   ○ 受験実績を上げたいという学校側の思惑があるので…

親よりバカな塾

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20年後の未来のため、青山プレップスクールです。


受験なんかを経験すると、よくわかること。


ぼくがどんなにがんばっても、
親のばかさには、なかなかかなわない
ってことです。


日々の中ではですね、
わりと、ぼくも健闘していると思うんです。

先々のことを考えて、
その子の特性や、周りの環境を考えて、
今、何を学ぶのがベストか?
今、何を伝えるべきか?

まあ、こっちはそれしか考えていないわけですから、
それ以外のこともたくさん抱えていらっしゃる、お父さま、お母さまに対しても
言えることがあったりするんです。



テストで点取るにはどうするかとか、
○○算は、どう解くか、
とか、そんなどうでもいい (あ、言っちゃった) ことでなくて。



何を褒め、何に対して 『ダメ!』 というのか、
その言い方はどうしたらいいのか、

困難に直面したとき、
そもそも、困難に遭わないように、こちらで準備しておくのか、
解決策を教えてしまうのか、一緒に考えるのか、突き放して自分で考えてもらうのか、

油断、慢心、怠け心が出てきたときに、
ガツンとやるのか、痛い目に遭うまで放っておくのか、もっと調子に乗らせるか・・・



100人いても、誰一人、同じ子はおらず、
一人ひとりも、その時々で違って見えることもあるので、
はっきりいって、大変です。

こんな大変なこと、バカじゃないとしないと思うんです。
賢い人は、手を出さないです(笑)。



でもどんな賢い人でも、いったん親となると、
そうもいかない生命の神秘。歴史のマジック。
その矛盾、その葛藤やいらだたしさ、
それでも見捨てようなんて考えてもみないし、
(仕事なら、見切りをつけることも大切なはず)
同時に存在する、何とも言えない充実感のようなもの・・・
そういう気持ちを共有しながら、『親よりバカ』を目指しています。



できることは、全部してあげようと思って、
あー、命削ってやってるな、と思うときもあります。



でも、でも、当たり前と言えば当たり前と言えるけれど、
共有している時間も、質も、
やっぱり圧倒的ですよね、親って。  (いまさらながら)
山よりも高く、海よりも深いです。。。

それを痛感しながらも、
でも、だからこそ、第三者だからこそ、できることもあるはず、
量と質で負けるなら、知恵と経験で勝負するしかない。


頭良さそうな塾ならたくさんあるだろうけど、
ぼくは、…

『なめらかな社会とその敵』  なるほど、しかし詰め込み過ぎ?

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



この本も、ずいぶんと長く、『積ん読』してしまいました。


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ざっくり超概要

◇ 核と膜

   生物は、コントロールの主体となる核と

   個体と環境を隔てる膜からなる。

   多細胞生物になると、

   脳と皮膚が同等の役割を担う。

   社会においても同様、

   コントロールする主体である政府(国家)と

   他と隔てる国境が存在する。


◇ なめらかな社会

   従来の社会は、膜がはっきりしていた。(ステップ関数)

   膜の内側か/外側か、ON/OFF、1/0であった。

   著者が理想と掲げるなめらかな社会は、

   この膜の役割を、あいまいにする社会である。(シグモイド関数のモデル)

   一個人が、何かの組織なり、社会なり、国家に、完全に所属するのではなく、

   複数の組織に、分散的に、配分して所属する社会である。

   ◆ なめらかな貨幣(PICSY)

      商品の購入代金が、販売者のみに渡るのではなく、

      商品に携わったさまざまな人に、電波的に伝わる電子的なネットワーク貨幣。

   ◆ なめらかな政治(分人民主主義)

      これからの社会問題は、一国の国内問題に限らない。

      民主主義も、伝播委任ネットワークを使って投票システムを構築する。

   ◆ なめらかな国際関係

      国家は、「敵」を想定することで、国内の結束を高めた。

      国家が定めた敵(公敵)に対して、個人は特別に敵視はしなくとも、

      国家として、自衛のための戦争を繰り広げている。

      公敵なき社会を目指す。

◇ コンピュータと人間(社会)

    チューリングの考えた万能機会主義時代から、

    アラン・ケイが描いた身体環境主義、

    インターネットの普及以降のネットワーク主義の特徴をそれぞれ明らかにし、

    リアルとバーチャルが併存するパラレルワールドを描く。



もっともっと縮めて言えば、

今あるコンピュータ技術を前提とすれば、

まったく新しい社会を設計できるんじゃないの?

ということ。

しかし、いろんな要素を詰め込み過ぎの感は否めない。

筆者のアイディアのギリギリ限界まで書ききっている、

全体像を知ってほしいという勢いを感じる。





=…

第一志望に合格しなかった、その事実を受け止めるところから出発しよう

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


いろいろな想いが、交錯する季節です。

先日は、第一志望に合格した子に向けて話したことでしたが、


今回は、そうでなかった子に対してです。


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ぼくはこの1年、○○君のことをよく見て来たから、

限られた時間の中で、完璧とは言えなくても、よくがんばった、

あと一歩のところまで行っただけでも、心の中では大したもんだと思っています。



ちょっと、昔話ね。 (昔と言っても、最近だよ)

ぼくも、大学受験は、第一志望はダメでした。 意外といけそうな気もしてたんだけどね。

ぼくなりに悩んで、でも、入れてくれると言ってくれたところに、行くことにしました。

結果的には、それはぼくに必要なことだったのだと思っています。

なんだかんだ言っても、あんなちゃれけた勉強で、東大なんか入ってたら、

ぼくみたいな性格だと、よほどよほど、鼻持ちならないロクでもない人間になっていただろうから。

別の観点から言えば、

ぼくもしつこいもので、1学期の間は、いくつかの大学に勝手に入っていって、

授業をのぞいてみて回ったの。 本当に求めているものはあるのかなって。

結果としては、(残念なことだけれども)、どこも大して変わらない。

じゃあ、とっとと卒業したほうがいいんじゃないかと思いました。

ちなみに、学生の浮かれ具合は、学校によってちょっと違ってておもしろかった(笑)。

別にここで人生決まるわけでも何でもない。

次の決戦にそうなえよう。



もう少し昔の話ね。

幕末。

吉田松陰が処刑される直前に、高杉晋作に言ったこと。

その頃晋作は、松陰を心酔していたから、先生が死ぬなら、俺も役人何人か殺して死ぬと思っていた。

それに対して、松陰先生は、

   『 死して不朽の見込みあらば いつでも死ぬべし。

    生きて大業の見込みあらば いつでも生くべし。』

きびしー。

これをぼくは、高校生の頃に知ったんだけど、

かなり困ったね。

   不朽の見込みも、大業の見込みも、ないですけど・・・

いまだにないけどね。(笑)

でも、どちらかといえば、どちらかとえいば、どちらかといえば (究極の選択)

不朽の見込みは、まったくないわけです。 どー考えても。

じゃあ、生きるしかないじゃないか。

大業とま…