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10月, 2025の投稿を表示しています

完全に全自動で動画にしてもらいました

  なんとなくそれらしい

数学や英語を教えたいわけじゃない(考えるって楽しいこと)

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「塾をやってます」と言うとよく、「専門は何ですか?」と聞かれます。 しかしうちには、所謂「専門性」というものがありません。 どの科目でも(学校の教科以外でも)、持ってきてくれれば教える(?)し、 対象も幼児から大人までさまざまです。 私は「何か特別な知識を暗記させている」わけでもなく、子どもが「好きなことを好きなようにやらせる」わけでもなく、「やりたくないことをエサで釣るなどして無理やりやらせている」わけでもありません。 なるべく、静かな伴奏者であろうとしています。 そうした環境で、「考えることって楽しい!」と思ってもらえたら最高だという価値観のもと、「考えるモード」に入ることやその時の「楽しい気持ち」を思い出すお手伝いをしています。 そもそも「専門性」とは、誰のため、何のためのものなのでしょうか。 数学と国語は、そんな違うものなのでしょうか。 英語を教えることと理科を教えることは、そんなに違うものなのでしょうか。 私はそうは考えません。 学ぶことは人生を豊かにするものであり、 目の前で困っている人がいれば少なくとも手を差し伸べることはできるはずです。そして、よほど高度なことや特殊なことでない限りは、何かできるはず。 そして、「知ってることをただ喋る人」からよりも、「困っていることを一緒に考えてくれる人」からのほうが、学びは多いのではないでしょうか。 勉強が「テストのためにするもの」と思われて、テストの点数でだけ評価されるのと、 「自分で考える」ことを評価されるのと、 どちらが勉強が好きになるでしょうか、 自分で考えられるようになるでしょうか、 社会の良き一員となって周囲から大事にされるでしょうか。 AI などがますます発達する未来において、 自分で考えることが楽しい、 そのために自分から、調べたり勉強したり練習したりできる そんな若者たちの活躍の場はたくさんあると思います。 だからこそ、教科を超えて “ 考えることそのもの ” を楽しめる場をつくりたい。 それが私の役割だと思っています。 お子さんが(そして大人も忘れているかもしれない)「考える楽しさ」を、一緒に見つけてみませんか。

子どもに教えていいのかな。まあ教えてしまうのですが(学びの変革期)

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スマートフォンでただ遊んでるわけではありません(たしかに遊んでもいるのですが)。いろんな AI を使ってみたり、アプリを試したり、そんなことにたくさんの時間を使うようになっています。(それも AI に聞くのかな?) すると、もういろんなことが便利になり過ぎてしまって、今まで何百時間、千時間以上費やして、多大な労力をかけて、人によっては大金を払って身につけてきたような技能が、アプリひとつで誰でも簡単にできるようになってしまったことを痛感します。 もちろん、本当のプロレベルまではいかないのですが、「だいたいそれらしくできるよ!」というところまでは、誰でも簡単に辿り着けるようになってしまいました。 遊びとして、子どもたちに 【ちょっと齧ってみて、周りの大人を驚かせてみる】 を提案しています。おもしろいですし、そんなことがきっかけで本格的にのめり込んでいく子もいます。 ただその波はもちろん、「学校の勉強」にも押し寄せてきています。 特に今まで、「実用的」と思われていた教科については、危機的です。 「もう、それは人が学ぶ必要があるんだっけ?」 という状況がすぐそこまで来ています。 たとえば、英会話、プレゼンテーション資料作成、ディベート、ブレインストーミング、プログラミング、データ分析・・・学生がやるレベルのことは、全部 AI があっという間に仕上げてくれますし、AI のレベルは今後さらに上がるでしょう。 宿題や自由研究なんかも、チョチョイのちょいです。 調べ学習? ChatGPT にひとつ聞くだけで、それらしい資料を提示してくれます。 計算ドリル? 写真を撮れば、答えだけでなくそこに至る道筋の解説までしてくれます。 漢字の書き取り? これは、、、自分でやるしかないか。 ただ、読みはともかく書き取りについては、本当にどこまでできるべきなのかはきちんと吟味されていないように思います。入試の小論文が手書きだからと、いつまでもそこだけ手書き文化が残るのでしょうか・・・? 来週、単語テストがある? 単に知識を詰め込むということに関しても、脳科学的にどのくらいの間隔を空けて、どのくらいの頻度で復習すれば記憶として定着しやすいか、それに合わせて通知をするなど生活に介入しながら、効率よく学習する方法もたくさん提供されています。 単に知識として詰め込んでもいいですが、せっかくなら、たとえば英...

勉強にAI、子どもにAI (あい)

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青山プレップスクールでは、子どもたちに積極的に AI を使ってもらって、一緒により良い使い方を研究しています。今は 「検索ツール」 として使っている人が多いようですが、それだけじゃもったいないよー どんどん使って ある程度失敗して 慣れて慣れて 使いこなそう! 目次 1.自分のことは自分で管理(てけてけ能力) 2.教科書も、先生の話も、なんでも要約(ぎゅぎゅっと能力) 3.深める学習(ここ掘れワンワン能力) 4.広げる学習(大航海能力) 1.自分のことは自分で管理(てけてけ能力) 宿題や提出物、テストの準備など やらなくちゃいけないこと わかってるんだけど、悪気なんてないんだけど ついつい忘れちゃう AIを使って、タスクとスケジュールを管理しよう。 大きなタスクは分割して、マイルストーンを設定、 忘れないためのリマインダー登録。 自分のスマートフォンを執事として、 つまり、自分はご主人様として、ビシッと管理していくよ。(自分を) まずは、Geminiにお願いするところから。 できる子はもっといろいろなアプリをお試し中です。 忘れ物ゼロを目指しています。 2.教科書も、先生の話も、なんでも要約(ぎゅぎゅっと能力) どんなにきれいな資料にまとめても、最終的に自分の頭に入らなければ意味がない いくら素晴らしい教材でも、面白いコンテンツでも、わかりやすい授業でも、最終的に自分の頭に入れるのが難しい。これを私は、「ラスト30cm問題」と名づけています。 この「ラスト30cm問題」は、AIがこれだけ発達した現代においても、さほど向上が見られません。いえ、むしろ情報の量が増え、刺激が増え、即時的な反応を求めるゲームなどが普及すればするほど、「ラスト30cm問題」は深刻化しているとさえ感じます。 しかし私たちはこの問題に正面から取り組み、一定の方向性は見えています。 まずは、量を減らすこと、次に分類して、そして構造化すること、最後に表現の種類を自分の好みに合わせて変更すること、です。 これらの作業には、今のAIは最適なツールと言えます。 たとえば、ついさっきまでやっていたのですが、 分母の異なる分数の足し算について、まずは私が一通りの説明をしました。 それを、Claudeでも録音すると、自動的に要約してくれます。 要約されたテキストを一緒に読み返して、お互いの理解を再確認します。 ...

いつでもどこでも、学びは友だち(新パターン)

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コロナの前からオンラインも対応していたので、 神奈川・静岡、アメリカ・インド・ニュージーランド・フランス・カナダ・スペイン在住の生徒さんもいます。 今年の夏は、私の方が病院からリモート授業をするという荒技。 どこからでもできるんだなーと、改めて実感しました。 最近、さらに新種 (!?) が発見されました。 修学旅行先からの、数学の問題演習!! 「毎日、その日の数学の授業のことを夜に思い出そう」という目的で、短いメールのやりとりをしている子がいます。 先日、その子が修学旅行に行くというのでお休みーーーと思っていたら、夜にメールが! 「質問があります!(指数関数)」 あらあら・・・友達から変に思われてない? 友達もちょっとふざけて参加してくれているみたいで、それならいいけど。 修学旅行の夜に数学やるとか、逆におもしろい!となったそうです。 もう変なテンションだけど、結局友達といれば何をしてても楽しいんだね。 そのふざけている様子が先生に見つかって、先生もドン引き。 「何やってるんですか!」 まあ、良い思い出になったようで何より。テストもがんばってくれ。 その友達も、がんばってくれ。 そして、50年後の同窓会のときにでも、思い出してください。

久しぶりの病院

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大きな病院は、大きなシステムの一部になる作業 こういうのは、本当は向いてるなーと今日も感じながら、帰っています 今からは、小さな個人の世界 ちょっとした仕草、間、姿勢の変化、 そんなことを気にしながら、 いずれ大きなシステムの中で暮らすことなんて想像だにしていない人たちに それとなく、準備をしておいてもらうお仕事です