高得点は人のため、省エネ・時短・楽しむことは自分のため

「勉強は自分のためにするものですよ」というのはよく言われることです。しかし本当にそうなのでしょうか。「ぼくのことなんだったら、放っておいてくれ」と言っても通用しません。テストで良い点数だったときに先生やお母さんが喜んでいるように見えます。悪い点数だったときには、先生が怒っていたり、お母さんががっかりしていたりします。

テストで良い点数を取るのは、他人のためだと私は考えています。具体的には、先生や保護者、一緒に頑張った友達などテストで関わった人たちのためです。先生にとっては、伝えたことがちゃんと伝わっていることが確認できたり、質問に対して真摯に向き合ってくれたことがうれしいのです。お母さんにとっては、子どもの努力が形として示されたことがうれしいのです。一緒に頑張った友達は、それがいい思い出として残ることが嬉しいのです。そしてそんなことで人を喜ばせることができると知ることは、やはり大切なことです。

ところがこれが行きすぎてしまうと、一体何のために勉強しているのか悩みが出てきたり、人から認められないといけないという強迫観念が強くなって、だんだんと苦しくなってきます。「結果」を出すためには相応の「努力」を要しますが、周りの人は「結果」部分だけを見て好き勝手言っているように思えてきます。これが、小学生の時は真面目で優秀だった子が中学や高校で伸び悩んでしまう原因です。

私は次のような言い方をしています。

「”結果”は他人に捧げるもの。”過程”は自分が楽しむもの。両方とも大事ですよ」

省エネ・時短を追求するのも一つですし、余計なとこまでやってみるのもまた一つ。ルールの中でどのように遊び、ルールを最大限に活かして楽しむか。それはそれぞれの個性と創造性に委ねられます。やりすぎて失敗することはあるでしょう。それもいいですよ。答えだけ覚えておけばいいじゃん!、テストにはほとんどでない三国志を調べすぎた、など。過程を楽しむことができれば、それが自分にとっての財産となっていきます(だから、答えだけ覚えたりするのは、あんまり楽しめていないと思います)。

他人も喜ぶし、自分も楽しい、そういうやり方をいつも考えるようにしようね。

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