【COTEN】ジェンダーギャップ解消調査
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先日、株式会社COTENさまより、『ジェンダーギャップ解消調査』の音源を頂戴し、一通り聞いたところです(COTENラジオの、かなーり初期からのリスナーで、子どもたちにも勧めまくってます!)。
職業柄、「お母さん」とお話をさせていただく機会が多いので、常にわたしの関心領域にある話題です。
調査は、
1. 現状の認識 (今、実際になにが起きているのか。諸外国(横糸)や歴史(縦糸)との比較)
2. 構造やメカニズムの理解 (なぜそうなっているのか)
3. 未来への提案 (これからどうするか)
をコンパクト(20時間程度!)にまとめてくれています。
COTENさんは、おそらく膨大なリソースを投じて、(主に学術的調査から)多角的に調査・分析し、株式会社という立場から未来への提言をされています。こういう動きが広がれば、と切に思います。
わたしは、あくまで個々人の超ミクロな視点から、また子どもたちの視点から、この問題を考えています。
したがって、問題は大きく2つに分けられます。
一つは、今の「お母さん」たちに大変な負荷がかかっているということ。これは目の前の課題です。
もう一つは、今のスタイルをずっと続けていくつもりなのか。今の子どもたちが大人になる頃(10年、20年先)を想定して考えています。
まず、最初の課題についてですが、これは今まさに差し迫った課題であり、たとえば法律や制度をがんばって変えて、「5年後に良くなりますよ」では遅すぎるのです。できる人が、できる範囲で、できることをサポートする。残念ながらわたしにはそれしかできません。
自分のできることの小ささに無力感に苛まれることも少なくありませんが、だからこそ、二つ目の課題。子どもたちの未来のために、今なにができるのか。
学校の勉強はなるべくコンパクトに片付けてしまって(実際できる)、少しでも浮いた時間ができれば、未来につながるであろう、いろいろなお話をしています。それがまた、現在の勉強のモチベーションにつながる。そういうサイクルを100%で実現しようとしています。
未来についてのお話の中で、ジェンダーギャップも重要な話題です(女の子にとってはもちろんですが、わたしはむしろ男の子にとってこそ重要な話題だと思っています)。
やはり出発点は、現状認識です。
わたしたちは慣れきってしまって感覚が麻痺しています。「当たり前」や「常識」になっているほど、むしろわかっていないのです。(例:分数の割り算は、どうして逆数の掛け算なんですか? どうして時計は「時計回り」なの? 北の夜空は北極星を中心に「反時計回り」で回っているの? )
何かを理解するために、わたしたちが持っている一つの技術は【比べる】こと(学校の勉強でもいつもお世話になっています。ありがとうございます)。わたしたちは、比べないとほとんどわかりません(例:真っ赤な部屋の中では、赤いものは見えるでしょうか?)。その【比べる】という技術を使って、ジェンダーバランスについての現状を分析します。典型的な【比べ方】は、縦糸/横糸。すると、今の日本の様子は、勉強すればするほど「異常」なことが見えてきます(良い/悪いの判断は置いておきます)。
もう一つ、わたしたちが理解するために持っている大切な技術は【よく見る/聞く】こと。
お母さんがおうちでなにをやっているか、よく見てごらん。また、なにを考えているのか、なにに困っているのか、なにを悩んでいるのか、聞いてみたらいいんじゃない? 一緒に何かをやってみることも、とてもいいと思うよ!
また、権威の獲得についても、クラスの人気者はどうして人気を獲得しているのか?を【観察】すると、おもしろいと思うよ!
それで、だいたい見えてきます(だいたい、だけどね)。そうしたら次に、【なぜ?】を考える。これも学校の普通の勉強と同じですね。なぜ?を考えるときの典型的な技術。一つは「形」に注目する。もう一つは「流れ」に注目する。そうすることで、一段抽象化された構造やメカニズムとして捉えることができます。
その理解のもとに、【実験】してみる。この場合は、思考実験に近いかもしれませんが、身近なところであれば実験も可能。こういう仕組みなんだから、ここをこうすれば、このように動くはず。より少ない力で、全体を動かすにはどうしたらいいんだろうね? もしかしたら、一見何の関係もなさそうなところに、「鍵」が見つかるかもしれませんよ!
(社会のように複雑すぎたり、人生のように1回きりで再現できないものは、実験が難しいけどね)
注意事項としては、わたしたちが考えているときに使っている「言葉」そのものも、【疑ってみる】こと。「名前でしかない」ということは常に頭の片隅に。「女性」という人はいないし、「ジェンダーギャップ」というものも実際にはありません。「社会的規範」も「文化」も、誰かが名前をつけてそう呼んでいるだけ。実際にあるのは、一人の人と、その人が困っているという事実、目の前の人たちが当たり前のように行っているちょっと奇妙な風習です。それに名前をつけて、一般論でまとめることのメリットはとても大きい。とてもとても大きいのですが、ときに暴走してしまうこともあります(今さら、唯名論か実在論か、みたいな話ですが、言葉には常にそれが実体のように思わせる力がありますね)。
わたしが、うちの生徒さんたちに望んでいることは、
自分の人生を精いっぱい生きること。
そのためには、自分だけではなくて、周りとの関係が大切である。
そのために、幅広い教養(←気持ち悪くて使いたくない言葉ですが...)を身につける(理系だから社会いらない、文系だから数学できなくていい、という「常識」とは真逆の考え方です)。
そうやって社会の中で周囲の人から大切にされてほしい(まずは守りを固めたい)
その上で、自分の【可能性】というものが仮にあるとするのであれば、それを最大限に引き出せるといいね、ということです。
(勉強はその助けになるし、その勉強が少し上手になる方法を、わたしたちは学んでいます)
おまけ: ジェンダーを考えるうえで、「まずは」としてお勧めしているのは
◻︎ 『ミステリと言う勿れ』(12巻) https://amzn.to/48k1df0
◻︎ 『怪獣を解剖する』(上巻) https://amzn.to/44vX4T5
◻︎ 『さよなら、俺たち』 https://amzn.to/4iBaVNo
◻︎ 『すべてはモテるためである』 https://amzn.to/48r3O5u
◻︎ 『文化が違えば、心も違う?』 https://amzn.to/3MnvtNp
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