親身という事

昨日、目にした記事
『コロナ禍でオンライン授業が続いている大学 子を持つ親は「高すぎ」』
https://news.livedoor.com/article/detail/19092453/
 
<最後の部分の引用> 
さらに、こう思いを吐露する。

「子供たちには、コロナのせいにするなよ。こっちは一生懸命お金を工面したんだぞ。育てたんだぞ。病むなよ。死ぬなよって伝えたいです」(Cさんの母) 


今年大学に入学した子とも連絡を取り合っているので、日ごろから大学の不作為についてはぼくも残念に思っています。今楽な思いをしたとしても、結局は大学の価値を低めることになってしまうことを。


ちょうど『禅とオートバイ修理技術』を読んでいて、自分の中でつながったこと。

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【親身という事】について。

文字通り解釈すると、親の身になる、肉親のように、ということでしょうか。

さきほどの、Cさんの母の発言はまさに親の発言で、
ぼくもその気持ちはよくわかります。

一方では、Cさんの母の本音はそうであったとしても、
Cさんの母個人としての発言なのではないでしょうか。

(別に週刊誌の記事に出てくる個人を攻撃したいわけではありません。
  今の大学1年生を支える一人の親の1つの類型として)


ぼくは今年の学生たちには、いつも以下のように話しています。

「君たちは何一つ悪くない。
  もちろんうまく適応できないことはあっただろうけど、
  全部、コロナのせいにしていい。悪いのはコロナ。むしろラッキーだね。
  今できること、今しかできないこと、チャンスは転がっているよ!」

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のようなサービスもあります。

学び方はもっと自由であるべきです。
それはぼくが青山プレップスクールを作った理念でもあります。
今回のコロナ騒動は、ぼくたちにそれを気づかせてくれた
人類が変わっていくターニングポイントだったと思います。


親身になる

ひとりひとりと、個性を持った人間同士として
年齢や経験など関係なく、
そして狭い意味の「勉強」の範囲に縛られず、
一緒に話をしています。

それは、親身になっているかと言われると、
ぼくはそうは思っていません。
親とは別、肉親とは異なる、そういう関係を超えて、
もちろんぼく自身の利害も関係なく、
10年後のその子の目線に立って考えるようにしています。


10年後のあなたは、今のあなたに、
どのような声で、どのように声を掛けるでしょうか。


そういうモノにボクはなりたい。

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