手を動かしながら考えることは、自由であり、楽しいこと、そして切り開かれる未来
昨日の、野辺山宇宙電波観測所の立松さんの話でもありますが、考えることが楽しいと思えるかどうか、
幼少期にそのような経験をたくさんしているか、
ということがひたすら大事だとぼくも思っています。
しかしいまだに、
目先のテストの点数であーだこーだとなってしまう現状もあり、本当に時代が変わっていくのには時間が掛かるものですね。
ガリレオ・ガリレイが切り開いた?、科学的アプローチ。誰か偉い人が言ったことを覚える、昔の偉い人の本を読みこんで覚えるのではなく、実際にやってみて、実験と観察によって思考を深めていく、ことが基礎教養として身についているかどうか。
小さな事実を、少しずつ積み重ねて、だんだん視界が開けてくる。
急に、「あれと似てるな?」とひらめくときもある。
関係ないもののあいだに共通点を見いだして、結び付けること。
自分がわかるところとわからないところのギリギリのラインを見つけること。
最初は到底無理だと思ったことが、いつの間にかできてしまうこと。
いまだとスマートフォンで検索すればすぐに答えがわかってしまう時代ですが、
だからこそ、あえて答えを調べずに、あーでもないこーでもない・・・
そんな時間の使い方ができること、それを楽しめる。
特にいい学校はそういう子を求めているので、結果としては受験もクリアするし、
いえそれ以上に、見ていて、話していて、
こちらが楽しく、頼もしくなってきます。
そんな若い子?たちとたくさん知り合えたことは、本当に幸せだと思います。