問診、触診、コミュニケーションは、面倒くさい?

 緊急強制入院も早ひと月半。何となく入院生活に慣れている自分がいますが、この環境には慣れたくない。一日も早く出たい。。。けれど現実的にまったく歩けないし、歩ける見込みも立っていない。。。


病院というところに久しぶりに来て、大きなシステムの一部に自分がなってしまっていることを感じざるを得ません。
中でも、私が子どもたちと接するときに一番大切にしている、会話・対話が大きなシステムの中でどのように機能しているのか。していないのか。
具体的な事例を紹介します。

  1. 検査結果を共有してほしい
    全身にわたって、たくさんの検査をしました。検査結果は、私のものでもあると思うのです。もちろん専門的で、聞いてもわからないことはたくさんありますが、それでも教えてほしい。
    医師の能力を疑っていたり、診断に文句をつけたいわけではなくて、この機会に私が何か勉強させてもらえれば、あとで子どもたちにいろんな形で、伝えていくことができるので。そしてそれは、医療の未来に繋がっていくので。
    無理にお願いして、時々教えてもらっています。

  2. 毎日のご回診
    ほぼ毎日、脳神経内科医師チームのどなたか(たいてい複数人)で回診に来てくださってありがたいです。しかし、少しだけ感じるのは、聞きたいことだけ聞かれてる、良くなった点は強調される、ということ。
    逆に言うと、私は1日22時間くらい、自分の身体(痛み)と付き合ってるので、たくさんの幅広い1次情報を持ってます。各種検査結果の数値は大切ですが、現場の1次情報は、私なら一言も聞き逃したくない。

  3. 最近は、触診ってしないのでしょうか
    各種検査結果の数値を見たらわかるのでしょうか。少なくとも患者としては、たとえば痛いところをやさしく触ってもらえるだけでも、ホッとするものです。そういうことも、医療の一部ではないかと思います。

  4. その痛みは興味ない(別の科)
    どれだけ訴えても、腰痛にはなかなか興味を持ってもらえず…いえ、最初はすぐにMRIを撮ってくれました。しかし、腰椎に異常がないとわかると、整形外科の担当になるのでしょうか。湿布一枚もらうのに、一悶着です。
    「痛くてどうにもならないから、何か処置をしてほしい」
    「整形外科に行ってもらわないと」
    「じゃあ行かせてください」
    「今日は日曜。明日の朝まで待て」
    「それが待てないから、せめて湿布一枚処方してほしい」
    「整形外科の診断がないと無理」
    「じゃあ診断してくれ」
    「日曜だから無理」
    「入院してる意味がない。薬局で湿布買ってくる」
    「外出はダメ」
    「じゃあ、どうすればいいのか」
    「明日の朝まで待て」
    「そんなバカな。目の前で患者が苦しんでいるのに、放置ですか? 何のために入院させられてるんですか?」
    「そういう決まりなので」
    「そんな患者を見捨てるような決まりありますか? そんな病院いたくないです。そもそも、湿布一枚貼ることによって、現在の私の症状もしくは今後の治療に、具体的にどんなリスクがあるのですか? 放置されるデメリットは私は具体的に言えますけど」
    結局、整形外科の先生に電話してオッケーが出たそうで、湿布もらいました。
    そしてその晩、痛みは引きました。
    その後毎晩使っていますが、特に問題ありません。

  5. マニュアル通りでいいですか?
    看護師さんたちは本当に忙しく、文字通り飛び回っています。私若きがお手間をかけてしまうのは心苦しいので、5cmでも私の方が動いて少しでもスムーズに次の動作に移れるように、会話においては少しでも心が軽くなるように。
    しかし中には忙し過ぎるせいでしょうか。マニュアル通りの対応しかできず(システム設計の問題でもありますが)、誰にでもできるようにした結果、誰にとってもあまり意味のないものになってしまっているものもあるようです。
    「痛みの強さは、10段階で言うと、今いくつですか?」
    「私の場合、両足、両脚、臀部、腰、首、両手に症状が出ていて、またそれぞれの痛さの種類、強さが異なるのですが」
    「10段階で言うといくつですか?」
    「聞いてました? どうやって一つの数値で表すんですか?」
    「一つの数値にして、それを医師に伝えることで、診察の品質を上げるんです。そういうルールなんです。10段階で言うといくつですか?」
    「本当にそれで品質が上がるんですか? どうして? 考えてます? どうして入院して3週間も経って、病名特定すらできてないんですか? それが品質なんですか?」
    「10段階でお願いします」
    「10です」
    意外にベテランの看護師さんのほうが、自信満々、上からの態度で、こんな感じです。

  6. 避難経路に変更があったなら、説明してください
    入院中、避難経路に変更があったそうで、部屋に備え付けの設備等に関するファイルの差し替えがありました。ところが、ファイルの差し替えはしたものの、新しい避難経路についての説明はありませんでした。
    万が一の時、今いる患者はどうするの?
    ファイルの差し替えをした、という形式が優先され、患者は置いてきぼりです。

  7. 請求書の内容を説明してください
    事務の方が請求書をお持ちくださったのですが、渡すだけ。
    私の場合、外来で来たら即入院。費用の話などないままにバタバタ。矢継ぎ早に、検査だ、手術だ、あれにサインしろ、これにサインしろ…
    せっかくなので、分厚い明細書の説明をしてもらおうとしたら…
    「説明はしませんよ」
    「え、そんなことありますか?」
    「みなさん、そのままお支払いしてくださいます」
    「いえ、払わないとは言ってません。説明してください、と」
    「みなさん、ちゃんと払ってくれます」
    (また、このループだ…)
    「あなたや、他の患者さんは、お金が有り余っているのでしょうが、私には、何十万の請求を中身知らずに払えないんですよ。中身がわかれば、もちろん払いますよ」
    「そんなこと、言われたことありません。みなさん普通に払ってくださいます」
    「みんながやってるから、誰もやってないから、というのは、関係ないんですよ。じゃあ、私が適当に何十万の請求書作ったら、払ってくれますか? まあ、もういいです」
    (明日、別の人に聞いてみよう)

  8. マッド・サイエンティストにならないで
    これはおもしろかったので、別の記事にしようと思います。
    簡単に言ってしまうと、検査をするわけなのですが、そしてその検査はとても痛いのですが、いいデータが取れるまで、もう一回、もう一回。。。と、ついつい夢中になってしまう。ゲームみたいに。被験者が人間であることも忘れさせてしまうほどに。

以上、入院1か月半の中で思い出す、コミュニケーションについての、気になったことを挙げてみました。


私(青山プレップスクール)は、学校の勉強を扱ってはいますが、一番大切にしているのは、コミュニケーションです。そのため、マンツーマンという形式で、またそういう形式的なこと以上に、きちんと会話として成立してある上で、お互いが気持ちよく前を向いて話せるコミュニケーションの練習をしています。
文章が読めて、人の話が聞けたら、将来何でも習得できる。文章が書けて、人に話ができたら、人から信頼されるようになる。
私は子どもたちにそうなって欲しいと思いながら、日々手を変え品を変え…挑戦は果てしない。

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