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本当は難しい、本当に難しい、読み聞きそろばん+書き

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自分らしく生きていくための大切な準備を行う場所。 それが新・青山Fプレップスクールでございますよ。 小学生から社会人まで、コロナに負けず、むしろこれはよりよい未来への進化が加速する契機になるととらえ、まあでも固くならずに楽しみながら学んでいます。 準備。 プレップスクールという名前にしたのも、準備運動だととらえて欲しかったからです。 自分らしく生きるための準備? 何すればいいんでしょうね。 □ 基本ツール(読み聞きそろばん+書き)をより高い精度でマスターすること □ 自分を知ること □ 世界(宇宙)を知ること だと、ぼくはとらえています。 グローバル化、ネット社会、そして感染症との共存・・・不安定な世の中では、形骸化した「肩書」よりもむしろ「中身(=実力)」がものを言うのは歴史が示しています。その「中身」の基盤となるのが、【読み聞きそろばん+書き】です。 少し前に、新井紀子さんの著書 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 でも話題になりましたが、小学生と接していても、それが大学生でも社会人でも、結局は、読めていないということが実際かなりあります。 読めていない、聞けていない。。。それでどうやって物事を学んでいくのでしょうか。にもかかわらず、結果を急ぐあまり、とにかく覚えさせる、オウムのように答えさせる、そんなことがずっとまかり通っていると思います。 (テストがその人の価値を、能力を決めると信じられていた時代は良かったのでしょう) 「最近の若者は・・・」ということでなく、ぼく自身も、今でさえも 本当に読めているのか?、ちゃんと聞いているか? と自分自身に問いかけない日はありません。結局、自分のレベルでしか読みができていないので、自分が読めていないことに気が付くことがまず難しいですし、ではどうすれば読めるようになるのかとなると、、、 しかしだからこそ、「1:1の対話」を大切にしています。それが最も基本であると思うからです。 次回は、インプット > アウトプットという事について書こうと思います。 今の世の中、インプット < アウトプットと言われすぎているように思って。

爆発的成長の環境整備:阻害要因を取り除く

こんな時代に天然知能の話かよ。 前回は、 成長を促進する人間関係 について書きましたが、 今回は、成長を妨げる阻害要因について。 条件をいくら整えても、爆発的成長が発動されないことがあります。 (どうしてなのだろう) 経験として感じることは、 人はアクセルよりもブレーキのほうがよく効くのではないか、ということです。 (嫌だ、嫌い、怖い、不安だ、疲れた・・・) といったマイナス要因があった場合、心にブレーキがかかってうまく動けなくなってしまう。ストッパーになってしまう。そのストッパーを外さないと、やる気スイッチもへったくれもない。 心のブレーキはどこから生まれるのか。 □ 身体的経験    たまたま少し体が小さかった、運動で初めに少し失敗した、    ケンカ(力勝負)で負けた、容姿などでからかわれた、体力的に限界・・・ □ 思考的経験    遊び(特に失敗)等の経験で「こうすればこうなるはず」という論理の構築が不足、    筋が通らないことがまかり通った、内容よりも感情が優先されすぎた、    過度に高度なことを無理やり納得させられた、能力に比して量が多い・・・ □ 感情的経験    うまくできなくて怒られた、好き・嫌い偏重思考、    嫌なことを強制されて結果も出なかった、気持ちをうまく伝えられなかった、    人間関係が複雑すぎた・・・ 誰しも大なり小なり経験があることだと思いますが、 その記憶をなるべく想起されないように、今やっていることから連想されないように。 そして、もし思い出してしまったら、 とりあえずできることはその記憶との関連を断つこと。 (過去の記憶の修復となると、もはやそれはぼくでは力不足だ) 難しいのは、 マイナス要因・阻害要因を本人が自覚していない場合もあるということ。長年、マイナス要因に囲まれた環境で過ごしてしまうと、心が縮こまったまま順応してしまうケースがあるように思います。 さらに難しいのは、 記憶に関することは、ON/OFFと明確なわけではなく、程度の問題、グラデーションであり、またその時のコンディション等にも大きく左右されるということ。 考え始めるととても手に追いえないように感じることではあるのですが、 少なくとも視点として、 「阻害要因」から考えてみる、ことは何かヒントになると思っています。

爆発的な成長を促すのは、教材でも教師でもなく、人間関係

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こんな時代に、天然知能に振り切っている青山プレップスクールです。 もうそこそこ長くこの仕事を続けてきて、経験的にわかっていること、それでもまだまだわからないこと、あります。 テストで点数が取れるようにすることは難しくない。入試だって、まあその延長です。 しかし、もっと本質的に、その子が爆発的な変化(本来の才能に気付くことだとぼくは思っていますが)が どのような時に起こるのか、狙ってそれは出せるものなのか、については正直まだまだ模索中です。 ヘレン・ケラーの【W/A/T/E/R】の瞬間。 同じインプットのはずなのに、世界が違って見える。 世界の意味がすべてつながっていると感じられる瞬間。 それを、爆発的成長と呼んでいます。 ぼく自身、何度かそのような経験があると(主観的に)感じていますし、 今も、「あれ、この子こんな子だったっけ?」と驚くことがあります。 みんな(来はじめの頃)、つまらなそうに勉強してるなーと思います。 それは大人も同様なのだろうと思います。 勉強や仕事は嫌なことで、遊びやダラダラすることは良いこと、 と刷り込まれているのだと思います。 ぼくは【全部一緒】ととらえています。ON/OFFと分けるのではなく、 すべての活動(何もしないことも含めて)は学びでもある。 生きていることそのものが学びであり、 学びは生きていることそのものではないかと。 だからもっとトータルで考えなければならない。 この問題の答えは「イ」ですよ。解きかたはこうですよ。 「これを維管束と呼びますよ」、「藤原不比等は中臣鎌足の子どもですよ」 という1つ1つの話は、そこだけ取り上げればそれだけの話で終わってしまう。 1つ1つの中に全体が含まれ、全体は1つ1つを含む。 ただ、人間がもっとも興味があることは、 やはり人間ではないかと思うのです。 喜びも悲しみも、悩みも苦しみも、ほとんどが人間関係の話。 (ITコンサルの仕事でも、法律事務所の仕事でもそのように感じました) であれば、人の成長という場面においても、人間関係は無視できない。 むしろ中心的な課題であるはずです。 人は一人で生きて成長するわけではありません。 多くの人に囲まれて生きて成長しています。 そのトータルなバランスがどうなっているのか、 崩れているところ、偏っているところ、欠けているところがないか。 1つのモデルを作りました。