普通の子をもっと大切にしてあげたい (普通の子って、ちょっと大変)
20年後の未来のために、新・青山Fプレップスクールです。
特に入塾制限や入塾テストを設けているわけではありませんので、
いろんな子がいます。
○ 勉強のすごくできる子
○ 勉強がどうしても嫌いな子
○ 賢いのに勉強に向かわない子
○ スポーツを頑張っている子
○ 将来お金持ちになりたい子
いろんな子はいますが、基本的にぼくは一人一人に対し、
「普通の子」として接しています。
====================
世の中の大多数は、「普通の子」であり、「普通の人」だと思います。
(逆か。大多数だから「普通」)
でも、たとえば学校などにおいて、
この「普通の子」たちって、結構ないがしろにされることが多いのではないかと思うのです。
A.すごく目立ってできる子は、先生からも目を掛けられる
B.すごくできない子は、なんとか先生が頑張ってくれる
でもその狭間で、「普通の子」って。。。特に手も掛からなくて楽だね。
ぼくがお会いしたことのある、「教育を志している人」 たちのお話を伺うと、
○ 学校の勉強にどうしてもついていけない子を救いたい
○ 家庭環境で困っている子を救いたい
○ カンボジアに学校を作りたい
とても、大切なことです。
別のタイプとしては、(数は少ないですが)
○ 成績を上げたことを自分の誇りとしたい
○ 有名学校に入学させたという実績で自分が成功したい
学校や大きな組織になれば、
○ 生徒数を増やしたい
○ 規模を拡大したい
○ 株主の期待に答えたい
特別に困っている子、特別に優秀な子は、
目立ちますし、ある種の数値に落とし込みやすいでしょう。
ただ結果として、大多数の「普通の子」たちは、
十把一絡げとして扱われている場合が、実際問題として多いのではないかと。
ぼくもそんな「普通の子」でした。
====================
ぼくは少なくともそうだったので、
そして社会人になってからは大人の人とばかり
話していたのでわかるのですが、
違う文化、背景を持っている人と話すことは、
ものすごく勉強になる。
特に入塾制限や入塾テストを設けているわけではありませんので、
いろんな子がいます。
○ 勉強のすごくできる子
○ 勉強がどうしても嫌いな子
○ 賢いのに勉強に向かわない子
○ スポーツを頑張っている子
○ 将来お金持ちになりたい子
いろんな子はいますが、基本的にぼくは一人一人に対し、
「普通の子」として接しています。
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世の中の大多数は、「普通の子」であり、「普通の人」だと思います。
(逆か。大多数だから「普通」)
でも、たとえば学校などにおいて、
この「普通の子」たちって、結構ないがしろにされることが多いのではないかと思うのです。
A.すごく目立ってできる子は、先生からも目を掛けられる
B.すごくできない子は、なんとか先生が頑張ってくれる
でもその狭間で、「普通の子」って。。。特に手も掛からなくて楽だね。
ぼくがお会いしたことのある、「教育を志している人」 たちのお話を伺うと、
○ 学校の勉強にどうしてもついていけない子を救いたい
○ 家庭環境で困っている子を救いたい
○ カンボジアに学校を作りたい
とても、大切なことです。
別のタイプとしては、(数は少ないですが)
○ 成績を上げたことを自分の誇りとしたい
○ 有名学校に入学させたという実績で自分が成功したい
学校や大きな組織になれば、
○ 生徒数を増やしたい
○ 規模を拡大したい
○ 株主の期待に答えたい
特別に困っている子、特別に優秀な子は、
目立ちますし、ある種の数値に落とし込みやすいでしょう。
ただ結果として、大多数の「普通の子」たちは、
十把一絡げとして扱われている場合が、実際問題として多いのではないかと。
ぼくもそんな「普通の子」でした。
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いつも言っていることではありますが、ぼくは「教育」をしたいわけではありません。
では何がしたいかと言われると、とても抽象的なのですが。。。
【よりよい社会を残して死ねたらいいな】
そのために、「特別な子」を支援することももちろん有効だと思いますが、
それはたくさんの方が取り組まれていることです。
ぼくは、「普通の子」たちと、ちゃんと接して、
一緒に悩んで、考えて、行動して、失敗もして。
少し力になってあげられたら、
ど真ん中の大多数が、上向きになれば、【よりよい社会】が残せるのではないかと
考えるのです。
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普通の子って、普通じゃありません。
ものすごく様々です。多様です。一人一人違います。
みんな白いサイコロだね、と見る人が多いかもしれませんが、
よく見ると、いろいろですよ。
でも、「普通」だと思われているから、
あんまり学校の先生など、大人とちゃんと話をする機会が
少ない傾向があるんじゃないかなと思います。
(目立つ子をちやほやしたい大人が多いのも問題)
あんまり学校の先生など、大人とちゃんと話をする機会が
少ない傾向があるんじゃないかなと思います。
(目立つ子をちやほやしたい大人が多いのも問題)
ぼくは少なくともそうだったので、
そして社会人になってからは大人の人とばかり
話していたのでわかるのですが、
違う文化、背景を持っている人と話すことは、
ものすごく勉強になる。
社会が成熟するにしたがって、
これまで光が当たっていなかったところに注意が
向けられることは、とてもいいことだと思います。
ただ、あまりに周辺部に光を当てすぎると、
ど真ん中の大多数の中にある多様性に気づきにくくなってしまう。
行政も、マスコミも、資本家も、
あまり注目してくれない層であっても、
(「納税者」、「投票者」 または 「消費者」として、目を向けてくれると思いますが)
ここが崩れると社会全体に与える影響は甚大です。
なぜなら、高度に積みあがった負担を背負うのは、この層であるから。
普通の子が、普通に成長する中で、
普通にバカなこともやって、普通に「バカだなー」と叱られ、「もうやるなよ」と言われ、
普通に漠然とした未来への希望を持つ
そんなことを考えている塾があってもいいんじゃないかなと。