独学の練習に力を入れているのは、独学が優れた学習法だから、ではない
今回⚪︎⚪︎さん(高校生:共学)との話し合いで、
通常授業での数学パワーアップ大作戦の他に、
英語(音読)の自主練習にも取り組んでもらうことにしました。
教材としては、『音読の教科書』(https://amzn.to/3JOpUGN)をお勧めしていますが、同様のことは何を使ってもできます。次回、具体的に一緒にやってみて、感じを掴んでもらいます。
独学を進める意図
さて、今回自主課題として、音読の独学を設定しましたが、
その意図を共有しておくために、このメールを書いています。
大きく2つあります。
1. 音読は優れた学習法なので、他の勉強にも取り入れて欲しい。音読の効果と、自分の勉強への取り込み方を学んでもらいます。
2. 独学は優れた学習法ではありませんが、敢えて取り組んでもらいます。すべての学びの基礎であり、また今後のトータルな学習においては欠かすことのできない要素であり、学習の成否を決定しかねない重要な鍵となるプロセスなので。
この記事では、特に後者(独学のすすめ)について、詳しく書いていきます。
独学は最善ではない
まず一番初めに頭に入れておいてほしいことは、独学が最善の学習法ではない、ということです。独学について書かれた書籍や、独学の方法を語っている方は少なくないですが、
(すべての話題に通じますが)
自分に合っていたから(たまたま?)
誰々さんも言っているから(受け売り)
自分がそれを売りたいから(下心)
というものが少なくありません。というかほとんどがそう。。。
そんな情報に、自分の貴重な時間や、ひいては人生を捧げる必要はありません。しかし上の3つのバイアスは、どこでも出てくるので学んでおくと良いのですが、それも今回の話題からは逸れるので、別の機会に。
独学が最善の学習法でないことは、ここではその証明に字数を費やしませんが、学校や家庭教師、塾などが、古くから連綿と続いていることからも、歴史的には明らかとして良いでしょう。
⚪︎⚪︎さんの場合で考えれば、
実際問題として⚪︎⚪︎さんには現在でも既に、かなり質の良い教育環境が与えられていますし、今後それを維持発展させていくことは十分実現可能だと思われます。
独学は学びの原点
しかし、だからこそ、⚪︎⚪︎さんには学びの原点、学びの流れが始まるところを見て、学びそのものについて考えて欲しいのです。
🔸それまで気にしていなかったことがちょっと気になる
🔸ちょっかいを出す
🔸思い通りに動いたり、動かなかったり
🔸そこから、仮説→実験計画→実験→結果の確認→評価
と科学的に進むことは稀で、それでも🔸誰かに聞いたり、本などで調べたり
・・・私はこれらの活動は立派な「独学」であると思います。
そしてこのプロセスを観察すると、「独学=遊び」であることに気がつくと思います。子どもたちは本性として、みんな学者です。子どもたちにとって、学びはそれほど身近で、自然な行為だったはず。⚪︎⚪︎さんも思い出してみよう。楽しい記憶が蘇ると思います。
常にプランBとして
この先、複雑で変化の激しい情報社会を生きていくことになる⚪︎⚪︎さん(や同年代の子どもたち)には、
学ばなければならないもの
学んだほうが良いもの
はたくさんあります。
それらすべてを、学校や塾、家庭教師を通じて学ぶわけではありません。もっと自然な形で学びをスタートさせ、必要に応じて他者の助けを借りることになるでしょう。
最善の方法が取れないからと、学びを止めてしまう人は少なくありません。しかし、独学ができる人は、とりあえず独学しておくことができます。一般に学びへの情熱は時間が経つと薄れてしまうため、すぐに始められることは、大きなアドバンテージになります。
結果として学びの成否を左右する
プランBが常にあることは、計画の継続性を高めます。結果として、学習はうまくいくでしょう。
最善でない学習法が、学習全体のパフォーマンスの鍵になっているって、ちょっとおもしろいですよね。
試合を決めるのは、ヒーローとは限らない。むしろ脇役や偶然が左右することだって少なくないことは、想像しやすいと思います。
学び方は生き方である
そこからもう一歩話を進めると、学び方は生き方であると私は考えています。
わかりやすく例を挙げれば、
独学が得意だと、気軽に自分の興味に従って世界を広げる人になります。そういう人は、人から教わることは面倒だったり、窮屈に感じやすいものです。結果、ますます独学路線が強まります。正当な学習というより、感性に任せた学習法なので、結果も独特になりがち。それが評価されるかどうかは、わかりません。ただ、周りからは自由に生きていると思われ、本人もそうである自分に満足しているでしよう。ただし、同じ土俵でギリギリの勝負になった時、正当に学んできた人に負けてしまう可能性は高いです。独学はあくまでも自己流に陥ったり、そもそもあまり効率が良くないので。
そうして負けた後に、人から教わることも覚えていくのが良いでしょう。
一方で、人から教わるのが得意な子は、器用に何でも上手にできて、大人たちからも喜ばれます。しかし、このタイプの子には自分がやりたいことはありません。または、それを表に出さないように躾けられてしまっています。結果として、周りが喜ぶであろうことをするだけ。人の顔色ばかりを伺うようになるかもしれません。
そしていつか、自分の中の衝動が抑えきれなくなった時、何らかの形で爆発してしまうかもしれません(と否定的な表現にしましたが、必ずしもそれが良くないとは言えません)。
また、自由に生きているように見える人に対して強く嫉妬心を抱くかもしれません。大人たちから可愛がられ、正当な教育を受けていくと、同時に義務や責任も負わされているように感じるでしょう。そういうものから距離をとって自由に生きている人が輝いて見えるかもしれません。
正当な教育を受けたけれども、うまく結果が出なかった子は、もう少し複雑です。知識はありますし、すごい人たちを割と身近に見ることもできたので、上から目線で見てしまったり、批評家のように振る舞ってしまったりで、偉そうな態度に見られてしまうかもしれません。学びの原点に戻って、人の目など気にせずに何かに没頭する経験をしたいですね。
独学で結果が出なかった子は、夢を見るところから。憧れの存在に一歩でも近づきたいと思えると、ガラッと変わるかもしれません。まだ、ほとんど何にも挑戦していないのに無理と諦めることはない。世界はもっといろいろで、やり方なんかいくらでもある。
最後が長くなってしまいましたが、学び方が生き方と密接に関係あることはおわかりいただけたと思います。
ここにさらに兄弟の話を混ぜると、さらにおもしろいです。兄弟で学びのスタイルが異なることはよくあります。それは一種の生存戦略であり、私が学び方=生き方と思い始めたきっかけなのですが、今日はここまでとします。
あなたはどんなスタイルの学びを身につけたいですか?
一緒に検討するところから始めましょう。
