「塾をやってます」と言うとよく、「専門は何ですか?」と聞かれます。 しかしうちには、所謂「専門性」というものがありません。 どの科目でも(学校の教科以外でも)、持ってきてくれれば教える(?)し、 対象も幼児から大人までさまざまです。 私は「何か特別な知識を暗記させている」わけでもなく、子どもが「好きなことを好きなようにやらせる」わけでもなく、「やりたくないことをエサで釣るなどして無理やりやらせている」わけでもありません。 なるべく、静かな伴奏者であろうとしています。 そうした環境で、「考えることって楽しい!」と思ってもらえたら最高だという価値観のもと、「考えるモード」に入ることやその時の「楽しい気持ち」を思い出すお手伝いをしています。 そもそも「専門性」とは、誰のため、何のためのものなのでしょうか。 数学と国語は、そんな違うものなのでしょうか。 英語を教えることと理科を教えることは、そんなに違うものなのでしょうか。 私はそうは考えません。 学ぶことは人生を豊かにするものであり、 目の前で困っている人がいれば少なくとも手を差し伸べることはできるはずです。そして、よほど高度なことや特殊なことでない限りは、何かできるはず。 そして、「知ってることをただ喋る人」からよりも、「困っていることを一緒に考えてくれる人」からのほうが、学びは多いのではないでしょうか。 勉強が「テストのためにするもの」と思われて、テストの点数でだけ評価されるのと、 「自分で考える」ことを評価されるのと、 どちらが勉強が好きになるでしょうか、 自分で考えられるようになるでしょうか、 社会の良き一員となって周囲から大事にされるでしょうか。 AI などがますます発達する未来において、 自分で考えることが楽しい、 そのために自分から、調べたり勉強したり練習したりできる そんな若者たちの活躍の場はたくさんあると思います。 だからこそ、教科を超えて “ 考えることそのもの ” を楽しめる場をつくりたい。 それが私の役割だと思っています。 お子さんが(そして大人も忘れているかもしれない)「考える楽しさ」を、一緒に見つけてみませんか。