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足の治療について

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昨年の突然の入院ではご心配をおかけして申し訳ございませんでした。 たくさんの激励とともに、 思ってもみなかったことですが、 「あれはいいよ」「これやってみたら?」などのお話をいただいて、 ありがたさと、驚きと! 知らないことって本当にたくさんあるなーと改めて思い知りました。 何でも試してみたい私としては、興味津々なわけですが、今回についてはお医者さんに完全に任せることにしています。 繰り返しになりますが、とてもありがたく、そしておもしろそうに思っていることは間違いありません。そしてもし、今の病気が治るなら、紹介してくださった方にも喜んでもらえると思っています。 ただ、 もし悪い方に転んだ場合 ーーー (現代の医療で世界中の知見を集めて「よくわからないね」と言われている病気です) 私自身は、一つの実験の結果として興味深く受け取ります。 しかし、紹介してくださった方はどのように感じるか。ほんの少しでも後悔のような思いをしていただきたくないと思っております。本当に良いと思って、私のためにわざわざ薦めてくださったわけですから。 せっかく紹介したのに失礼な奴だ、と思われるのも仕方のないことだと受け止めております。ただ、上のような理由であることをもしご理解いただければ、またまたありがたいことでございます。 別の角度から見ると、 私はお医者さんにすべてを押し付けているとも言えます。申し訳なく感じるとともに、それほど重たい責任を負った大変なお仕事だと、新たな視点を得ることができました。 なるべく言われた通りにして、きれいなデータをお渡ししますので、未来の人類のためにお役立てください。 私自身は、お医者さんにお任せしたので、病気のことは忘れています。 日々のやらなければならないことと、 この先、遠い未来のためにやらなければならないこと。 身体の不自由さと一緒に、進めていきますよ♪

「考える」の真ん中で

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「これからの時代は考える力が必要です」 という言葉は、いったいいつから言われていることなのでしょうか。 もしかしたら、太古の昔から言われ続けている言葉なのかもしれませんね。 人が生きている限り、常に新しい局面に遭遇し、新しい情報が入ってきて、「今この場で」何かの判断をしなければならないことがあります。そんなときに、「考える力があるといいよね」と感じ続けてきたのでしょう。 また近年では、受験産業の思惑もあるでしょうね…(本題からズレるので掘り下げません) しかし私には疑問があります。 「考える力」と特に言い始めてから(受験戦争後)、人々の考える力は向上したのでしょうか? さまざまな教材や教育方法は、人々の考える力を向上させてきたのでしょうか? ノーベル賞受賞者などの知の巨人とでもいう人々が、いまだに「好奇心」や「幼少期の素朴な体験」、「自分でやって自分で失敗すること」など、素朴な誰にでもできることを言い続けているのは、なぜなのでしょうか? 私は、今の仕事を始めて18年余り、 「考える」の現場に居続けています。 「考える」とは、いかなる頭(や心)のはたらきなのか。 「考えてない」とは、どのような状態なのか。 「考えない状態」から、「考えられるようになる」には、どのような推移を辿るのか。 その変化を促進させるような、「手法」はあるのか。 ・・・ あるテーマについて(たとえば、分数の割り算) いろいろな説明がありえます。 ある子に対しては、Aという説明の仕方をして、様子を見ながらアレンジする。 同じことを別の子に対しては、Bという説明の仕方にする。そして反応を観察する。 「わかりましたか?」 なんてこちらから聞くと、決まって 「わかりました!」と、判で押したように返ってきます。 その子は、本当に「わかって」いるのでしょうか? ◻︎ 「わかりました!」と答える儀式だと思っている ◻︎ 「わかりました!」と言わないと、怒られたり、面倒なことになると思っている ◻︎ 「あとで覚えればいい」と思っていることを、「わかった」だと思っている そんなケースが多々あります。 私はいつも接しているので、一人一人がどのくらいの理解力を持っていて(だいたいですが)、どういう反応をしがちかも把握しているので、 どんな説明を、何回くらいすると、徐々に「わかって」いくのか、見当はつきます。 しかし、そ...

2026 スタート!

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あけましておめでとうございます 元日はお休みでしたー♪ 松陰神社にお詣りをして今日からスタート! 「そこに勉強したい子がいる限り」 塾の正月というと「特訓」みたいなものを想像されるかもしれませんが もちろん、難関校を目指す子もいますが、そうでない校を目指している子もいますし、 受験生でない子、エスカレーターで受験とは無縁の子もいます まあ、時間があるから、 30分か1時間くらい 頭のストレッチ、ワークアウト、想像の世界をクルージング…もしくは全力ダッシュ! そんな感じです (朝から晩まで鉢巻き締めて…ほんとに集中してるの? 長時間労働でやった気になってうまくいった時代もありましたね。受験だけを目標とした狭い狭い勉強に意味があった時代もありましたね) AIの進化により、今まで関係なかったものが関連づけられ、次から次へと情報が生成されて、目の前まで届いています。 理解して、多角的に分析して、判断しなければなりません。 知の大航海時代とも呼べる状況で 「それは私の担当ではない」「興味ない」「今まで通りでいい」と鎖国してないで! 想像してみてください。 広い広い世界で、羽をのびのび伸ばして、飛べるところまで飛んでみたくないですか? 疲れたらいつでも帰ってきていいよー 元日以外は、開けています

奇跡の年越し

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今年は明るいうちに仕事納め、詣で納め 2025は個人のことでお腹いっぱい、 仕事はよりおもしろいことに。 成人式。 本当に誇らしいほどちゃんと育ったことは奇跡としか言いようがな く、恩返しをしなければなりませんね。未来に。 父の突然の死。考えなければならないこと・ やらなければならないことが激増し おそらくはそれも原因となって、 謎の病気を発症。4ヶ月近く入院(治りそうにないですね)。 さらに忙しくなって、入院中の平均睡眠時間は3時間を切る ( ヨーロッパを征服してないのはなぜ?) 他にも、同程度の不幸があって、いろいろあって… 年越しを迎えられたのはまた、奇跡です。 --- 私のことはいいとして、 人の学びについては、AI の進化もあって、熱々ですね。 AI がどれだけ進化しても、むしろすればするほど 最終的には人間が、理解し、判断しなければならない。 情報の量が増え、範囲が広がり、複雑さが増している状況です。 より本質的な「学び方」が求められることになってしまいました。 (テストや受験のための勉強では、歯が立たないでしょうね) 巷に溢れる「勉強法」は、 暗記の仕方がほとんどで、 あとはテンプレート的なマネジメント系。 そもそも「人が何かを理解する」とはどういうことなのか? 他者の介入などによって、 意図的にコントロールできるものなのか? (自由意思はあるのか・・・みたいな話に近づいていくのですが) どうして私と話すと、人は賢くなるのか?  (笑) システムが高度に発展するのに合わせて 人も進化していく方向に時代を後押しし、 私の子どもたち(!?) がちょうど未来と出会えるようにしていきたいです。 もう一つは、 私も含めた高齢者が最後まで社会や未来に貢献すること。 つまりは、積み重ねた経験やスキルを、 より確実に未来へ継承していくあたらしい伝統( 永遠に未完であり続けるプロジェクト)が必要ですね。 特に、入院中、たくさんの高齢者を見て、 これはやばいと思いました。 (入院してよかったことの一つです) まあまあ 子どもたちに支えられ、多くの方々にも支えられ、 なんとか、なんとか。 感謝感謝です。 〜〜〜 今年のベスト・バイは、もちろん望遠鏡です! 東京都心から、星を見るなんて!

能動的な学びが生み出す、決定的な差

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 能動的な学びが生み出す、決定的な差 「この冬休み、何をどのくらい勉強して、何をゴールとしますか」 『冬のチキチキ勉強し放題祭り』の参加者一人ひとりに最初に問いかけるのは、こんな質問です。小学1年生でも社会人でも、ここから一緒に考えていきます。 私が子どもたち接する際に大切にしているのは、 「自分で考えて、自分で実行して、その結果をまずは自分が受け取ること。そして誰かにお裾分けすること」 「先生の言うとおりがんばったら、90点取れた!」なんて【成功体験】… 悲し過ぎますよね。 その子は将来、 誰かに言われるがままに実行することを、自ら求めるようになってしまうのではないでしょう か (より深刻になると、誰かを奉り、より忠実に励むことで幸せを感じる…) 。 「無事、名門校に入れておめでとう!」なんて【成功体験】… 悲し過ぎますよね。 その子は将来、 ブランドで身を固めることに必死になり、素晴らしい外見と、実際の自分の中身との差に苦しむことになりはしないでしょうか。 「俺は、誰々と友達だ」 「自分がうまくいかないのは、⚪︎⚪︎のせいだ!」 「これは自分のものだから、絶対に人に渡さない」 悲し過ぎますよね。 これらはすべて、自分では何かを生み出す自信がないことの裏返しです。 苦労して何かを作り出すよりも、自由にやって失敗するよりも、無理はしないで既存のものを守ることが大切だと「教育」された結果です。その子にはなんの罪もないのは当然ですが、それを「教育」してきた側も決して悪気があったり、無知だったわけではありません。短期的な成功が長期的にはマイナスになることは人間社会ではよくあることで、時代の変化が激しくなれば、その入れ替わりも起こりやすいということだと思います。 自信・・・ もし仮に一人になったとしても、なんとか考えて、行動して、道を切り拓き、何かを生み出せるという「自信」。かっこ悪いけれど、それが「自信」だと私は思います。 そして、そのための「能動的な学び」です。 「能動的な学び」は、楽しいです! 対象(何を勉強するか)は、なんでもOK! 対象選びが重要なのではありません。好きなことを深掘りしてもいいですし、なんの興味もないことでも、むしろ嫌いなことに挑戦するということでも大丈夫です。絶対にサポートします。 何に取り組むとしても、取り組んでいる「自分」に注目しまし...

言語化で解像度が上がる?わけなかろ

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言語化で解像度が上がる?わけなかろ #さみしい夜にはペンを持て  小学生の頃 何か書きたい気持ちはあるんだけど、 「なんて言っていいかわからん!」 と思うことがよくあった 中学高校と進むうちに そういうことは徐々に減っていったのだけど なぜなんだろうと思っていた a. 書きたいことを書けるだけの語彙や表現を身につけた b. 書きたい何かが、言葉に飲み込まれてしまった 私はどちらかというと、b を疑っている 借りてきた言葉、他人のモノマネでわかったような気になっただけ 難しいのは、 何かを理解するためには言語を用いるのが一般的で、絵画や音楽や踊りや料理などよりもよほど正確に伝えることはできる。 もう一つは、所詮私たちは「わかったような気になる」ことしかできないということ。 結果的に、 言語をさまざま用いて、 図や記号、数字などの助けを借りて、 なんとかお互いの「共通認識」があるかのように思い込むことでこの社会は成り立っている だから、言語表現はもちろん大事なんだけど… 一方で、言語にした瞬間に、もともと生々しくあった何かから、たくさんの情報が滑り落ちてしまう 解像度は、確実に落ちてしまっているはず 言語にする前の何か、言葉にならない何かは いったい何処へ行ったんだろう… 無意識レベルでは残ってるんじゃないか いつかそれを取り出すことはできるのだろうか 子どもをたちを見てると、そんな何かが にゅるっと出てきそうで それはそれでちょっと怖い

受験勉強のお供に

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(東京港区青山から私が撮った夜空です) 目で見ることはできなくても 何千万、何億年前に星から生まれた光が 今この瞬間にも私たちに届いているという事実 不思議な不思議な事実を受け入れさせる 圧倒的に冷たい美しさ (本当はものすごく熱い) これを見せた後に pale blue dot  (ボイジャー?の撮った地球の写真) を見せるところまでが一連の流れ