『父が子に語る科学の話』夏休みに親子で科学対話を楽しもう:未来を生き抜くための大切な時間


夏休みにお子さんと、科学対話はいかがでしょうか。
学校や進学塾では学べない「科学的態度」を身につけるために、私もまた、対話が非常に有効だと考えています。

教条主義的な、「偉い人が言ったことを覚える」式の勉強では、科学的態度は育ちません。耳から聞いたことを信じて覚える態度は、過去には有効だったと思われますが、変化の激しい・正解のない現代をどうやって生きていくのか、心配になってしまいます。

人類は、科学を手にしました。科学の時代は、目で見たものを信じる時代と言ってよいと思います。偉い人が言ったことをありがたく覚えるのではなく、自分が直接見たもの・考えたことを(ある程度は)信じてよい。それをより確かにするのが、他者からの目と対話です。自分が見たものは本当に正しいのか? それを基にした推論に穴はないか? 一人では到達しにくい客観性を、対話がもたらしてくれます。対話が成立するためには、間違っても殺されない、社会的に抹殺されないという条件が必要になりますが、これも人類社会の発展に大きく寄与しました。

公式や解き方を覚え込ませる教え方は、範囲とルールが決まっている(しかも古い価値観をベースにした)競技(テスト)においては結果を出すことができるでしょうが、そのアプローチが社会では通用しないだけでなく、その「成功体験」が、子どもたちの可能性を狭めてしまう可能性を、私は避けたいと考えています。

「実際にやってみたら、確かにそうなる」
理科だけでなく、算数においても、「誰かが言ったから」を根拠にするのではなく、簡単には覆しようのない厳然たる事実を目の前に提示する。事実を根拠として推論を深める態度が「科学的態度」であり、目の前の事実に対しては、大人も子どもも、親も先生も、みんな平等なのです。そんな空気づくりを、私はとても大切にしています。

さらに未来のことを考えると、もう少し厄介で。。。事実が真実とは限らない。「目に見える者が真実とは限らない」という困った事態に私たちは直面しています。

最先端の科学はもはや、目に見えない領域を扱っているばかりか、高度に複雑化した社会は、1つ1つの事象の積み重ねでは想像もできない動きを見せることが明らかになっています。目の前の事実は事実として揺るぎないものの、それが真実とは掛け離れている可能性が実際に十分にありえるのです。

そんな時代を生きていく子どもたちには、高度な想像力(と統計的な思考力)が求められます。因果関係で捉えられる範囲を遥かに超えた未来を生きる子どもたちに、今から準備できることの中でも、もっとも基本的で根本的なものの一つが、親子の対話なのではないでしょうか。


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