2017年2月16日木曜日

受験狂騒に付き合う必要はないのでは。

20年後の未来へGO!
新・青山Fプレップスクールは、20年後の未来のために、
学ぶことの意味を再構築する文化育成事業体です。


ぼくが創業時から目標にしていることは、
【勉強=受験】という概念を崩すこと。

普通に、自分のペースで勉強していれば、
たとえ最難関校の受験であっても対応できます。
そして、それに掛かる時間も費用も、確実に半分以下。


多大な時間と労力とお金をかけて、
必要のないことまで無理やり子どもや保護者に負担を強いる。
どうしてこんなにブラックなことが、現代で通用しているのか?
いったい誰のためなのでしょう。
いわゆる受験産業で働く人たちの雇用、既得権者の保身にしか思えません。


==================


でももっと大事なことは、子どもたちの将来のこと。

● 教えてもらったことを覚えることが勉強
● 塾に通わないと勉強できない
● 目先の数値的な「結果」だけを求めて、本質的な理解ができない

そんなおとなを、本当にみんなで育てようとしているのでしょうか。


学生アルバイトもしかり。
そこで、自分が既に知っていることを適当にしゃべっていればお金がもらえる。
そんな周りに流されると、単に時給の高いところを目指します。

数百円の差で損得勘定をして、
教える側がちっとも学んでいない。


ぼくが親であれば、絶対にそういうところに子どもを預けたくないと思うのですが。


学ぶとはどういうことか、
そこから一緒に考える人たちと、一緒に成長できる喜び。

学ぶことは本来、人間にとって楽しいことであったと
ぼくは思っています。


2017年2月4日土曜日

言葉の実弾


やらなければ、やられる。

そんな飲食店の話をさせてください。




2017年1月末日、
外苑前で45年間続けられてきた世界で一つだけのお店が、常連さんたちではちきれんばかり、賑やかに喧しく平常運転の中、幕を下ろしました。最後は感傷的な感じになるのかな?と思っていたのですが、みなさんそんな玉ではありませんでした。

ぼくは今の仕事を始めてから、特にこの3年ほど、3日を空けずと足を運んでおりました。
板さんのおいしい料理はもちろんですが、お店のマスターと常連さんたちが連日繰り広げる丁々発止、慣れないうちは喧嘩かと思うほどだったのですが、いつしかそれがクセになり。
元来口数の少ないぼくは、それでもなんとなく気に入っていただいて、言葉の実弾が飛び交う戦場ような場所で、なんとなく流れ弾を浴びておりました。

30年来、40年来の常連さんたちは、みなさんがそれぞれさまざまな業界の中で実績と肩書のある方々なのですが、お店の中では時間が逆戻りするようです。青年のように口角泡を飛ばして激論を交わし、冗談を言い、罵り合い、じゃれ合っている。また30年40年、人生をともに歩んだお店であったとも言えます。ここにいると、人生のさまざまな思い出が融け合って、1つの時間になっているようでした。時間感覚がおかしくなります。


ぼくの仕事は、子どもたちに言葉を伝えること。


しかし人生経験の少ないぼくには、「仕入れ」が必要です。
映画・音楽・絵画・芸術・芝居・建築・現代アート・デザイン・スポーツ・世界・仕事・経営・科学・オカルト・政治・教育・歴史・文学・恋愛・結婚・家族・・・人とその生き方
ぼくは夜ごと、人生の先輩方が身を切って発している言葉を「仕入れ」ては、
なんとか咀嚼できたエッセンスを
算数や国語、英語、理科、社会などの授業の中に、そっと忍ばせて子どもたちに伝えるのです。

子どもたちにとって「仕入れ」の場であったらいいなと。


45年という年月は、ぼくが生まれて生き来た年月でもあります。

そろそろぼくも、「仕入れ」ではなく、自らが「生産」するしかないのかな。
ちょっと不安です。

なんとなく続いてくれるんじゃないかと、まだ甘えています。



2016年12月31日土曜日

2016今年うれしかったこと

新・青山Fプレップスクールは、20年後の未来のために、
学ぶことの意味を再構築する文化育成事業体です。

今日、大晦日も何人かの子が来るというので、開いておりましたが、
先ほど最後の授業が終わりました。


今年一年を振り返って、いろいろと可能性にワクワクもしていますが、
うれしかったことと言えば、ごくごく日常の会話。


1.「通うとみんな、こんな風になるの?」

   何人かの保護者の方や、個人的な友達から聞かれたことです。
   子どもたちや先生(大学生)たちを見ての感想。

   どんな風なのかは、定かではないのですが(笑)、
   とても好印象を持っていただいたようでした。

   ただそれは、、、もともといい子たちだっただけの話です。
   そして、ある程度自由にものが言える環境を整えれば、
   自然にそうなるのではないでしょうか。


2.「なんで俺たちみたいなやつのこと信用するの?」

   ちょっとやんちゃな子のセリフでした。
   いろいろやらかしたり、宿題やって来なかったり、
   何度やってもできなかったりすることはあっても、
   ぼくは、人として信用して接しています。
   (だから、先生という意識もないし、生徒という意識もない)

   もしかしたら、未来のイチローかもしれない。
   持っている才能を、どうしたら伸ばしていけるか。
   今やっていることは、芽を摘んでいるのか、伸ばしているのか。
   指導者の好みで、型にはめるのは、決して才能を伸ばすことにはならない。
   (偶然そうなるかもしれないけれど)

   後からしゃしゃり出て、「彼は俺が育てた」みたいなことも言いたくない。

   今は世の中全体の風潮として、
   □ 無責任な甘やかし (キラキラ系)
   □ 厳密な規則、管理 (責任回避系)

   そんなんじゃなくて、
   「責任もって甘やかす」という文化が広がればと思っております。


3.「正月暇だから」

   正直、ちょっと休みたいという気持ちもあるのですが、
   元日以外は、誰か勉強に来ています。

   今年は、非受験生の子が結構来ています。
   「正月暇だから」

   そんな塾って、あんまりないだろうと思います。



とにかく、今年も一年ありがとうございました。


2016年12月31日

新・青山Fプレップスクール
井上 泰輔

2016年11月22日火曜日

死ななきゃ自由になれない?学問の自由はどこへ行った?『落語・掛け算』(計算の順序)

20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。

ネットで時々話題になる、掛け算の順序問題。
2x3、3x2どっちが正しいの?


「腑に落ちた」という人がいたので読んでみた記事


『落語・掛け算』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881150910/episodes/1177354054881151009?utm_content=buffer63322&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer


すみません! 私にはちっともわかりませんでした。
読解力、やばいかも。


落ちは、「死後に自由(4x5=20)」ということなのですが、
結局、何が言いたいのでしょう。
落ちだから、あまり気にしなくていいのでしょうか?



本当につたない(つまり理解している手ごたえがない)
ぼくの解釈ですが、

□ 規則に従わないと、社会が混乱するでしょ

□ 規則は国または偉い人が決めたもの

□ 守らないと笑われる

一方では、

□ 規則にがんじがらめなのもおかしい

おかしいから、みんなのやる通りにしておけということなのか?



いえ、この記事については、ぼくは本当にわかっていなくて、
わかっていないことをさらすのは恥ずかしいのですが、
本気で、誰か教えてほしいです・・・



========================


掛け算の順序については、ぼくは、以下のような観点で、
子どもたちに、またときに大人たちにも説明しています。


1.世界をどう見ているか(見る順序、考える順序)

2.論理性またはそれなりの合理性

3.歴史の重み


以下、順に。


1.世界をどう見ているか(見る順序、考える順序)

   A: 『2つのものが3セットある』 と見ているか
      (記事の例では、ウサギには耳が2つある。そのウサギが3羽いる)

   B: 『3セットあるよ。1セットには2つずつ、付いているよ』
      (英語で言えば、3 sets of 2)


   <別の場面ですが、日本語の特徴としてぼくがよく持ち出す例>

     ノコギリクワガタは、ノコギリか?クワガタか?

     A: ノコギリみたいな角を持っているクワガタ

     B: とにかくクワガタなんだよ、ただしノコギリみたいな角を持っているやつね


2.論理性またはそれなりの合理性

   日本人の場合、または日本語の場合、Aのような思考法が一般的。
   だから、2x3とするのが、それなりの合理性を持つ。

   英語の場合(と言い切れる自信はありませんが)
   全体像からとらえる視点を持っていると、
   3x2と捉えた方が合理的。

   大事なことは、【決まっているから】じゃなくて、
   言っている人と、読んでいる人が、なるべく共通の認識を持てるよう配慮されているか。

   だから、単位を付けて書くということは、親切。
   (記事の例でも、2本/羽 x 3羽 = 6本 と書けばよい)


3.歴史の重み

   たとえ、偉い人の発言であっても、独裁者の押し付けであっても、
   時代を超えて、納得感を得続けていくことは難しい。おかしいものは淘汰される。
   長い年月、たくさんの人に受け入れられてきた考えは、
   そう簡単には覆すことはできない。

   だけどだけど、自分が本当に納得していることがあって、
   それを正しくみんなに伝えることができたら、
   その能力と勇気があったら、世の中は変えていける。

   実際人類は、それまでの常識と、時には戦いながら歩んできている。


学問の自由が、
日本の憲法でも、また世界の多くの国でも認められているのは、どうして?


世界を観察し、論理や合理性で共通認識を育て、
一方では歴史の重みも感じつつ、未来を切り開いていく。

そのために、今勉強をしているわけで、
決して、決して、規則を守ることが絶対善ではないし、
死後にしか自由がないわけではない。



繰り返しになりますが、「考えることの自由」は、
いつでも、だれにでもあると、ぼくは思っています。

今あるルールがおかしいと思ったら、思考実験してみたらいい。
□ もし、掛け算の順序を自由にしたらどうなるか?
□ 2πrを、r2πと書いてもよいとしたら、どうなるか?
□ 足し算と掛け算が混じっているときに、足し算からやるルールにしたらどうなるか?
どんなルールでも、規則でも、偉い人が言ったことでも、
疑問に思ったら、自分の頭でもう一度考えたらいい。

考えたうえで、そちらの方がよいと思ったら、
それを誰かに言ってみたらいい。
そして、みんなが納得できるよう話し合えばいい。


そうすると、論理性やそれなりの合理性というものが、自然と必要になってくる。
それを知るために勉強しているのではないかな。


人間のルールは、人間が考えるものではないでしょうか。


2016年10月12日水曜日

純・学問のすゝめ (人生をかけてもいいと思えるものに出会う努力)

20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。


純・学問のすゝめ

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。


されども今、広くこの人間世界を見渡すに、、、

どうなってるんですか!
□ 学校がランク付けされ
□ 受かるための勉強をし
□ 受かれば官軍
□ 就職は、みんなに「すごい!」と言われそうなところ
□ 入れば官軍
□ 官軍内にも序列があって一番下からやり直し
□ 少し給料が高いため
□ 序列意識が抜けないため
□ やっている意味も、成長も、将来も、心からの満足もないままに
□ むしろ非効率、理不尽、不道徳と、表面上の華やかさ、目の前を通り過ぎるお金
□ ただただ働かされる、辞められない
□ 長時間も大変だけど、限られた人生
□ 短時間ならいいのですか?
□ 時間や制度で白黒つければ、はい、おしまい


どこで歯車が狂ったか?

責任の一端は福澤先生、あなたにもあります。
国の独立は個の独立から。個の独立のために経済的自立も大切な要素。
だけど、経済の自立のために、個としての精神としての自立が妨げられてしまっては。


どこで歯車がくるったか?

□ とりあえず、今は勉強して少しでも学校へ行きなさい
□ とりあえず、合格したから今は遊ぼう
□ とりあえず、就活のために志望動機考えよう
□ とりあえず、言われた仕事はやらないと
とりあえず、とりあえず。。。


今の日本の子どもたち。

いろいろ不足はあるにせよ、
世界的にも、歴史的にも、こんなに恵まれた子どもたちは、そうはいない。
□ 家族のために勉強を諦めて働かなければならないわけではない
□ 愛する人のために国を守る戦争に行かなければならないわけではない
□ 1つの組織に生涯を捧げなければならないわけではない


何もしなくても死なないから、じゃあ何もしない?

自分で考えるのが面倒だから、誰かの考えたルールに従う?


「自分が本当に、一生を捧げてもいいものに出会う努力をしよう」

すぐに見つからなくていい、ずっと見つからなくてもいい。


だけど、「これだ!」と思えるものは或る日突然やってくる。

ぼーっとしてると見逃しちゃうかも。

うっかりしてると見過ごしちゃうかも。

おっちょこちょいで見間違ってもご愛嬌。

「自分が本当に、一生を捧げてもいいものに出会う努力をしよう」


そのために、今日も一緒に勉強しましょう。

2016年10月3日月曜日

名門

20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。


いわゆる名門校。

生徒さんたちの持ってくる、宿題、学校の教材、テストなどを見て、

  
また、授業の話などを聞いているだけですが、
おもしろい授業をしているな、
先生もプライドを持ってやっているなと感じることが多いです。

ただ、これから受験しようとする子(在学中の子も)。
「そこに入りさえすればいい」
とは思わない方が。。。と思います。先のことを考えて。

先日、とある大手塾の説明会に行ってきたというお母さまからのお話で、受験まで残り数か月、
【学校への憧れ、どうしても入りたいんだ!】
という気持ちが大切ですよ、と言われたそうでして。。。

どんな名門であれ、元をたどれば、海のものとも山のものとも知れなかったはず。それを築いてきた先人がいたということ。
ぼくたちが普通に見ているのは、その「陰」に過ぎない。ぼくがよく言うところの、『イチローじゃなくて、鈴木一郎を』。その方が勉強になると思うのです。

これから入る人も今いる人も、
その環境で思いっきり、いろいろなことを学んで、
ゆくゆくは新しい伝統を作る、自分でブランドを作る、
そんな気持ちを持っていてほしいなと思います。

人口のほとんどが成長を実感できた【上りエスカレータ】の時代ではありません。
伝統・ブランドにしがみつくような気持ちは、少ない方がいい。
(特に周りのオトナが自分たちの経験から、それを植え付けないほうがいい)


2016年9月28日水曜日

流水算の解き方を教えることが、「先生」の仕事ですか?

20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。


どうも、「教育関連です!」、「先生やってます!」 という人と
なかなか話が合わなくて、、、へこみます。


流水算の解き方を教えることが、「先生」の仕事ですか?


結論から言えば、そんなものは余技に過ぎない。
その子の成長を待つための、場つなぎ・時間稼ぎに過ぎない。

目の前のテストで60点70点を取らせるために、
そして自分も60点70点の仕事をすればいい、
とすることで満足としないのであれば。


伊藤利助。

貧しい生まれながら、たまたま松下村塾に出入りすることになり、
松陰先生からは、
「才劣り、学幼し。しかし、性質は素直で華美になびかず、僕すこぶる之を愛す」と評され、
俊英の俊から「俊輔」と名を与えられ、
「俊輔、周旋(政治)の才あり」と才能を認められた。
桂小五郎から同志と呼ばれ、功山寺決起が道を開き、
海外留学・洋行で視野を広げ、、、
後に、大日本国憲法の制定、初代内閣総理大臣・・・そう、伊藤博文。


松陰先生に、本当に人を見抜く眼があったのか、
それとも、嘘から出た誠であったのか。。。

おそらくは両方、ではなかったかと、私は思います。


松陰先生の足元にも及ばぬ非才の身としても、
満点を100点なんて誰が決めた?
60点取れば合格、なんてものに貴重な10代の時間を使いたいか?
満点は1000点でも、10000点でも、
いやいや、60点でも。それは自分で設定すればいいもの。
他人が決めることではない。

合格確率がどのくらいだから、、、と、ビッグデータを分析しても、
1回限りの、やり直しのきかない、
その子の人生にとっては大した意味はないもの。

たとえ今、勝てなかったとしても、自分が成長し、機が熟した時に、また勝負したらいい。


そんなことよりも、

自分が何者であり、今がどういう時代であり、世界はどうなっているのか。

どこに活路を見出すか、いつ何で勝負するか、

気づかせてあげるのが、(正確には、勝手に気づいてもらうのが)

やすらかに、ひろやかに、たすける(泰輔)

と名付けられた私の(職業はなんであれ)仕事だと思っています。



「艱難をともにすべく、富貴をともにすべからず」

と言ったのは、村塾で学んだ高杉晋作です。(晋むを作す)




君の名は。

もしくは、君の本当の名は。