派手な「教育」と地味な「学び」

今年最初の朝顔が咲いたので。

(朝顔を始めたのは、東京オリンピック開催決定後、2014年春からでした。7月後半から8月前半に満開になるにはどのタイミングで育てれば良いか、毎年実験を繰り返していました)

派手と地味

大きなイベントもそうですし、その舞台に立つアスリートたちも、キラキラ輝いています。その姿に夢を抱いたり、勇気をもらったり、遠い昔を懐かしんだり。

一方でそこに至るまでの道のりは、地味です。一歩一歩の地道な積み重ねも、必ずしも結果につながるとは限りません。努力は確実に成果につながるわけではなく、少しずつたまっていくエネルギー。ある時爆発するように見えます。爆発の瞬間は、派手です。記憶にも残りますし、人にも伝わりやすいです。だけど地味は・・・

派手な教育

「教育」というと、やはり派手です。

名門校だ、偏差値だ、MBAだ、ロボットだ、宇宙だ、英会話だ、プログラミングだ、STEAMだ、アクティブラーニングだ、インクルーシブだ、、、派手です。駅のポスターを見ても、TVや動画に流れるCMを見ても、そこには子どもたちの輝く笑顔が溢れています。キラキラしています。夢だ、希望だ、未来だ・・・

しかしそこに至る道のりは、やはり地味です。小さな努力の積み重ね。成果の出ない日々。不安と諦め。周囲との軋轢。ただただやる気が出ない・・・地味です。

よーーーーく見る

わたしはその「地味」を大切にしています。愛でたいと思っています。少しずつエネルギーがたまっていく様子は、よーーーーく見ないとわかりません。結果が出なくて苦しいとき、モヤモヤして集中できないとき、もう諦めたくなるとき、目に見える「結果」で評価される社会の中で、違う視点でよーーーーく見てくれてる人がわたしにもいてくれたから。

「気合いだ!」と叱咤激励するのとも違うし、ただただ優しく「そのままでいいよ」というのとも違う。「いいから俺の言うことを聞け」と忍耐を押し付けとも違うし、「わたしを信じなさい」と救いの手を差し伸べるのでもない。

よーーーーく見て、よーーーーく聞いて、そして一緒に考えています。


1.おもしろがる工夫

たとえ学校の勉強であっても、何かおもしろいポイントがあるはずだよ。自分なりのおもしろがり方を見つけられたらそれが最高。今、おもしろくないと思っているのは、過去に植え付けられた先入観のせいで、おもしろさを見つける工夫をしていないだけ。人間が楽しいと思うこと(遊び)にもいろいろな種類があってね。たとえば、ロジェ・カイヨワという人が分類したところによると・・・

本当のおもしろさを知る・自分で見出す機会が未来に拓けているって、幸せだと思いませんか。

わたしは高校時代に、友人のK君からそれを教わったと思います。何でもおもしろがってやれば、おもしろいじゃないか。つまらないなーと思っていたのは、わたし自身がつまらなくしていたのだと思います。


2.起きたことから何を学ぶか

起きたことに善し悪しはないと思うのです。有名中学に受かっても、そこからおかしくなり始める子もいます。目標の学校には届かなかったけれど、行った学校で本当にのびのびと、そして自信をつけていく子もいます。骨折したおかげで、左手で字を書けるようになったり、体の動きや構造に興味を持ち始める子もいます。T大に受かったのも、T大生になるためではなく、あなたがそこでできることがあるはずです。

ずーっと続いていく、ずーっとつなげていく。その経験から何が学べるか、その経験をどのように「きっかけ」とするか。


よーーーーく見て、よーーーーく聞いて、そして一緒に考えています。


考えよう。何かやってみよう。そして楽しむための工夫とがんばりをしていきましょう。



今日から、17年目のスタートです。


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