他山の石: 小論文は総合格闘技であり、ごっこ遊びでもある

この引用(予備校時代、一番添削に困った「完璧な文体でナチスの政策を肯定した小論文」とヒトラーファンの女子高生の話)から、参考になったポイントは3点

1.縦割り教育の弊害

2.優秀な子にもちゃんとした先生を

3.推しは正義か?

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1.小論文の先生は、国語の先生?

文体や形式、論理的矛盾のなさだけが、小論文の評価基準なのか?

そんなはずはない。

大学の名前背負って社会的に問題のある言動をされたらと考えたら、いくら「優秀」でも、受け入れられないでしょう。

(人類が地球にとって害悪、という文章は、論理的に書けるけれども、だから何? 福澤諭吉をこき下ろす文章も論理矛盾なく書けるけれども・・・)

逆にもし、誤字脱字、形式のチェック、論理的整合性のチェックでいいなら、AIでいいのでは。

ついでに「ソーカル事件」。形式などはそれらしく、

ただ内容はまったくでたらめな論文が受理されたという事件。

愉快だけど悪意もあって、めっちゃ怒られた。

思想信条の自由(考えることは100%自由と言ってよい)と、

表現の自由(公共の福祉の制約を受ける)は、混ぜるな危険。

論理なんて、ひとつのよくできた「おもちゃ」(ただし、非常によくできている)。

真実は一つじゃない!

#ミステリーと言う勿れ



2.優秀な子が「とんでも」にはまる?

昔、オウム真理教というのもありましたが。

「私こんな文章も書けますよ」と持ってくる子はいます。

想像や論理の幅を広げて、逆説的な結論を見出す。

そういう遊びは、やったらいい。ぼくも一緒に遊ぶ。

今の私たちのもっている「常識」や「倫理観」なんて、

先入観だらけで、「真実」からは程遠い。

自分の常識を疑うために、いろいろなチャレンジをして

それを文章として表現するのは、楽しいし、幅広く物事を見られるようになる。

そうやって、仲間内でキャッキャッ楽しむのはいい。

しかしそれを、外で発表するとなると、、、

森さん(全国の森さん、ほんとすみません)のようには、なってほしくないな。

今どき、賢い子は自らいろんな情報ソースから情報を集めらえます。しかし中には、非常に偏った情報源も存在します。

そういう情報にばかり接していれば、偏った考えの持ち主は簡単につくることができます。

その場に自分が本当にいたとして、手を下せるのか?

何の罪もなく殺される人に、それでも自分は「正義」だと言い張るのか?

その「正義」に何の意味があるの?

絵空事で、論理だけで遊んでいても、それは真実ではないよ。

もし、それを本気で書きたいなら、

フィクションの衣をまとうと良いかな。

#本当の戦争の話をしよう

賢い子は、冷めた眼で世の中を見ている場合がある。

一つには、大人があまりにみっともないから。あまりにも。

大人も本気で、マジで、ガチでつき合わないと、

ますます舐められることになって、

同時にそれは、その子をそれ以上成長させないことにもなってしまう。

何が真実で何が嘘か?

コンフィデンスマンの世界へ、ようこそ。

#コンフィデンスマンJP



3.推しは正義か?

ヒトラーファンだから、ヒトラーを擁護する?

もし仮に擁護したいならば、許せないこともあるけれど、

そうであっても、良い面や個人に責任を問えない面もある。

むしろ、個人の責任にしてしまう方が害悪が大きいのではないか。

という論調になるのではないか。

「推ししか勝たん」

そうであるならば、ダメなところも、良い子は絶対に真似をしちゃいけないことも、

すべて認めて飲み込んで、それでも推すのではないだろうか。

良い面だけを取り上げて、「だから良い」と結論付けるのは、ファンと呼べるのだろうか。

ヤクルトスワローズは弱いけれども、

いや、弱いからこそ、ぼくは応援し続けています。

毎年、開幕前のこの時期が一番楽しい。

(弱い弱い書きましたが、

 実際見たら、めちゃめちゃすごい。

 それでも勝てないプロのレベルって本当に本当にすごい)

また違う話になった。

#推し、燃ゆ



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