2018年5月24日木曜日

言葉を文字通りにしか解釈しない大問題


日大アメフト部の問題、国会でのうんざりするようなさまざまな問題、さまざまな企業のさまざまな不正。

「あり得ない!」と専門家が言えば言うほど、むなしく聞こえてしまいます。

* 藤井君や大谷君に対する「ありえない」は、
   楽しいニュースです!

各種問題がこの先ずっと、子どもたちの世代まで続くのかと思うとぞっとします。

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そもそもこれらの問題の本質は何なのか?

ニュースなどを見聞きしていると、話がねじ曲がっていると感じるのはぼくだけでしょうか。

★★
言った/言わない、指示があった/なかった、合った/合ってない、証拠がある/ないといった話は部分的な話に過ぎないと思うのです。
★★

「相手をぶっつぶしてこい!」と言葉では確かにあったのだとぼくも思います。しかし、あくまでルールの中での話であるのは当然とコーチは思っていたのでしょう。元々、強い言葉、日常ではあり得ない表現を使う文化的背景があったであろうことは、激しいスポーツの世界ではありそうなことだと思います。ボクサーがコーチから、「相手をボコボコにしてこい」と言われることはあるでしょう。だからといって、そのボクサーがボクシングの範囲を超えて相手をボコボコにするでしょうか。

もっと言えば、悪口として「死ね」などと言う人はたくさんいるでしょうし、聞いたことがある人も多いでしょう。だからといって、本当にその人が誰かの死を望んでいるか?「君の代わりに殺してきてあげたよ」といったら感謝されるでしょうか。


注) 日常から、特殊な言葉、「誤解を招く」恐れがある言葉は使わない方が良い。
注) 実際にそのようなことが起きてしまったのであれば、
注) 即座に止めに入ってその場で謝罪すべきであるという件は、
注) それはそれで狂ってるなと思いますが、今は置いておきます。
注) (もし、本当に「ありえない」なら、試合を中断・中止しなかった相手側や審判も同罪でしょう)

逆に国会では、特に言葉としては言っていなくても、状況の中で「わかるでしょ」ということが横行し、都合が悪くなれば、「そんなことは言っていない」で罪を問われることはありません。やくざ映画の親分が、直接は何も言わないことと同じです。
いわゆるご飯論法(「今朝、ご飯を食べましたか?」「いいえ、ご飯は食べていません」(パンを食べた))。「○○罪という罪はない」という発言は、その典型かと思います。
こんな屁理屈のやりとりに毎日何億円も掛けるならば、もっと他にお金の使い道があるのではないでしょうか。

言葉を直接文字通りにしか理解できない、または、わざとしようとしない。
『言われたことをやっていれば怒られない』ということなのでしょうか。
もしそうだとすれば、そういう文化はどこで育まれているのでしょうか。


言葉や文書、論理に対する過信、
人間に対する過信、(人間ってバカだよ。もちろんぼくも)
逆に言えば、総合的な判断の欠如が、共有できる常識がないこと、
そして過去の「事実」に焦点が当たりすぎて、未来に対して建設的な議論を積み上げられないことが、
今ぼくたちが当事者として、議論すべきことなのではないでしょうか。


一部の言葉だけを取り上げても、全体の状況はわからない。
インターネットの普及とともに、文字だけの情報が一人歩きする状況です。
しかし子どもたちは、『点を取る』、『試験に受かる』ための勉強しか教わっていませんし、余計なことも含めていろんな話をする年長者もそばに居ない状況が多いと思います。

ぼくの友人で、小学校でバスケットボールを教える手伝いをしている人がいるのですが、
しばらく前に言っていました。何度注意してもふざけている子がいたので、「真剣に練習しないなら帰れ!」と言ったらそのまま帰ってしまった。家に帰ってお母さんから「何で帰ってきたの?」と聞かれるとその子は「帰れと言われたから」と。不思議に思ったお母さんが問い合わせて、状況がわかったそうですが、言葉を文字通りにしか解釈できない問題は、今も身の回りにたくさんあるのではないかと思います。

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ちなみにですが、ぼくは違う文脈(英語の時制の話)の中で、言葉や文字と、
伝えたい事ってずれる場合があるよね、って話はよくしています。
それは、『過去形』の話。

過去形って、どういうことを言うときに使う表現?
「過去のことを言いたいとき」
とほとんどの子は伝えます。

もちろんそういう面はあるのですが、もっと隠された意味があるんじゃないかな?
たとえば、、、
「あなたは、むかし、かわいかった」
と言われたら、それってどういう意味だろう・・・

言葉と意味がずれることがあることをよく知って、
上手に使い分けることが、まだまだAIにはできないだろう、
人間にこそできることではないでしょうか。

国語は、特に丁寧に、超スローリーディングが良いなと思っています。

そして全体を通して、
普通に話をすること、きちんとコミュニケーションを取ることが何より大切だと思っています。(立場関係なく)

* 「わかった?」と聞くと、たいていみんな「わかった」と答えるけれど、
* 本当にわかってるの? いい加減な答えをしないでね。

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今、人類は1つの大きな分岐点に立っているのではないでしょうか。
人類の体や脳は、こんなに大きくて複雑な社会を生きていくようにはできていないはずです。せいぜいが数十人から数百人単位で狩猟採集しているのが、自然状態の人類の姿でしょう。認識力や言語の限界に近づいているように思えるのです。

そこでこれからの展開を考えると。

A: 押しの強い、声の大きい人の意見を通すために、その他の人はじっと我慢をする(現状)

B: 少人数のグループに分断して、慎ましく暮らす(かつて自然主義者や共産主義者が目指した世界)

C: 複雑な状況を、総合的に判断し、未来に向けて建設的な議論ができるよう、人類が進化する。言葉に代わるコミュニケーションの方法を発明しても良いかもしれません。


ぼくは、Cを目指しています。
微力ながら、人類のお役に立てたらと。

繰り返しになりますが、人間ってまだまだバカだなと思います。
ぼく自身に対しても、もちろんそう思います。
でも、だからこそ、少しでもましな方向へと努力し続けるものではないでしょうか。



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一応断っておくと、ぼく個人としては、
ただ偉そうにしているだけのおっさんとか、
たまたま成功して天狗になっている人、
その周りに群がっておこぼれを頂戴しようとしている人、
上意下達の硬直した組織、
有無を言わせぬスパルタ式?の教育
など、虫唾が走るほど嫌いです。

ただ、個人の好き嫌いのことと、
未来志向で議論を構築することは、分ける必要があると思っています。

2018年5月18日金曜日

読んで良かった、大変だ。『収容所のプルースト』

最近読んで、人に(子どもたちも含めて)薦めまくっている本です。


『収容所のプルースト』(ジョゼフ・チャプスキ)




読みどころは2つあります。

1.極寒の収容所。文字通り一寸先は闇の中で、捕虜たちの取った行動は?

   ポーランド人画家であったチャプスキは、1939年、
   ドイツとソ連による相次ぐポーランド侵攻によって、捕虜となる。
   収容されたのは、ソ連領。破壊された教会跡が収容所となり、
   零下40度の極寒の地で、昼間は強制労働、夜は南京虫だらけの毛布。

   肉体と精神の極限、絶望の中、
   捕虜たちは、人間性を保つ最後の方法として、
   何の道具も要しない、記憶だけを頼りにある知的作業に取りかかった。
   毎回、誰かが自分が一番よく知っていることを他のみんなの前で講義をする。
   軍事、政治、文学・・・
   目の前の現実とはあまりにかけ離れたテーマについて、耳を傾ける。

   著者は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』
   (A la recherche du temps perdu)の連続講義を行う。

   本書は、その連続講義の再現したものです。

2.『失われた時を求めて』の解説本である

   さっそく、原書を買ってみました。
   ただ、ぼくが読むと200年くらい掛かりそうだな。。。
   ということで。
   



   英語版も買ってみました。
   
   



   ついでに、日本語版も。
   
   

ぼくとしては、岩波版の方が読みやすいです。


興味を持ってくれた中学生、高校生がいるので、
一緒に少しずつ読んでいこうと思います。






2018年5月15日火曜日

めだかの学校で国語・算数・理科・社会・英語


人間到る処青山あり
人間至る処碧山あり

生きる場所、死ぬ場所、学ぶ場所は至る処にありますよね。
それを感じてもらうために、1Fの水槽を見ながら授業なんてことも、時々やっています。

学びって、国語・算数・理科・社会と分かれているものではなくて、
いつでも、何からでも、自分次第でいくらでも広げられるものですよ。


一番大事なことは、「知ってる」って思わないこと。
「知ってる」と思うことで、好奇心の扉を閉じてしまわないこと。
主にメダカを飼っている水槽ですが、少なくない子どもたちはちらっと見ただけで、
「ああ、メダカね。知ってる」といってその後じっくり見ることをしないのです。
それはとても、もったいないこと。

その時その時のその子の反応で、話題は変わりますが、たとえばこんな話になったりします。

□ 名前の話:
   メダカって、なんでメダカって言うんだろうね。
   スジシマドジョウって何でしょう? ドジョウ? どんなドジョウでしょう。
   ここに、日本語の論理の構造が見えてきます。

   また、名前がわかることで「知ってる」と思った子がいるように、
   名前を知ることってとても大切です。
   どれかのメダカに、名前をつけてごらん。その瞬間から、そのメダカが
   今までとは違って見えるよ。
   君の名は、ってもの、そういうことかもね。

□ 一匹をずっと追いかけて見続けること:
   今から1分間、一匹だけをずっと見てみよう。
   やってみればわかりますが、なかなか集中力が必要です。
   気を抜くと、目が無意識にすっと動いてしまうことに気がつくと思います。
   たとえば、計算問題をやっているとき、
   やはり自然に目が違うところを見ていることがあるよ。
   そういうときに、計算間違いや、写し間違いが起こりやすいよ。
   意図的に時々目を離した方が、結果としては追い続けやすいかもね。

□ なりきること:
   どれか一匹を追い続けたら、今度はそのメダカがどんな世界を見ているのか、
   想像してみよう。
   そのメダカになったつもりで世界を見ると、いったいどんな世界が見えるかな?
   これで作文書けそうだね。

□ 貝の速度、水草の速度:
   コケを取ってもらうために、貝やエビも飼っています。
   貝くらいがちょうど良い。
   ゆっくり動いているけれど、気がついたら結構動いているね。
   この貝のスピードを、どのように計ったら良いかな。

□ 分類・整理してみよう:
   メダカだけでなく、ドジョウやカマツカ(鯉の仲間)、ミナミヌマエビ、
   青いエビ、いろいろな貝、たくさんの水草があります。
   それらを、分類・整理してみよう。

□ 水質など:
   これは、やり始めると結構、ヌマ。
   簡単なところでは、pHを測ってみたり、アンモニアや亜硝酸塩、硝酸塩の濃度を測ってみたり。
   そこから、生物の分解のサイクルについての話になっていきます。
   目に見えない、たくさんたくさんのバクテリアが、良い働きをしてくれているよ。

□ 光合成:
   CO2をボンベで添加しています。
   どうして? から光合成の話、緑色の話などなど。

□ 卵~大人、いろんなメダカ:
   オスメスの識別って、教科書で習うよりよほど難しいよね。
   卵、稚魚、1年生くらい、2年生くらい、いろいろなメダカがいるね。
   赤いの、青いの、白いの、黒いの、いろいろいるね。

□ 何やってるんだろうね:
   メダカたちって、何をやっているんだろうね。
   ざっと見たところは、えさを食べて、フンをして、ジャレたりケンカしたり、
   人間も偉そうにしているけれど、ほとんど一緒だよね。

□ 数えられる?:
   ところでここに居るメダカって、数えられるかな?
   もちろん、がんばれば(または別の場所に移すなどすれば)数えられるけど、
   ぱっと見、数えるの大変そうで、数える気にならないね。
   英語で出てくる【数えられない名詞】ってこういうことじゃない。
   別に数えようと思えばできるかもしれないけれど、通常数えようとは思わない。

進化とか生態系とかの話だったら、(ぼくも好きなので)
もっとお話しできるけれど、
身近なものをよく見て、学校で習ったこと、人に聞いたこと、本で読んだこと、テレビで見たことなど、、、いろんなことと結びつけて考えてみると、おもしろい世界がどんどん広がっていきますよ。


新・碧山Fプレップスクールでした。

2018年5月2日水曜日

そろそろAIの助けとか、借りられるんだろうか

AI化というと、現状大きく2つの流れがあると思うのですが、ぼくが可能性があるなと思い興味を持っているのは、『人がより良く生きていくために、細かいレベルでアシストしてくれる機能』。(もう1つの流れは、『人間みたいなものを作ろう』)

【1.大きな目標: 「興味を持つ」、「わかる」が『わかる』】
【2.その応用分野】
【3.小さな目標: 狭い意味での「学習」の効果を飛躍的に上げる】
【4.その具体例】
【5.危険な目標: 膨大な「無意識領域」を活用可能にする】


【1.大きな目標: 「興味を持つ」、「わかる」が『わかる』】

ぼくがずっと興味を持っていること。
それは、人が「何かに対して興味を持った瞬間」、「理解した瞬間」、「できなかったことができるようになる瞬間」について、もっと科学的に調べられることがあるだろう、ということ。 
今は、一対一で話をして、相手の反応を見ながら経験的に判断しているのですが、科学的に、生体レベルで(つまり無意識レベルで)起こっている反応を調べると、もっと具体的なことがわかって、場合によっては利用もできるのではないかということ。 

○ 人が何かに、「何それ!」と興味を持った瞬間

脳の中ではどんなことが起こり、それが生体レベルにどのような反応として表れるのか。ある程度リラックスした状態の中で、それまでのその人の『常識』からちょっと外れたことがあると、脳は勝手に興味を示し、瞳孔が開いたり、心拍数が上がったり、発汗量が上がったりしているのではないでしょうか。 それをもっと科学的に調べてみたい。

○ 人が何かを理解した瞬間

授業で生徒に、「わかった?」と聞いても、あまり意味がないと思っています。生徒たちは、学校生活などを通して、「あなたの発している言語を聞いています」ということを、「わかった」と答えている場合が少なくないように感じます。ぼく自身の経験ですが、「わかった!」となった瞬間は、
A.今までよく知っていたことを使って、言い換えができるようになった。つまりこういうことか。
B.それまで全然違うことを考えてしまっていたことがわかった。なんだそんなことか。
C.それまで関連がないと思っていたことに意外な関連が見いだせて、頭の中でイメージが自在に動かせるようになる。たのしいなあ。
また、理解は段階的に進むように感じています。
第0段階: まったく頭に入らない
第1段階: 言われていることはわかる(ような気がする)
第2段階: まだもやもやしている部分はあるけれど、ある程度再現できる
第3段階: 上記のA~Cのいずれかの状態になる
0⇒1は、学習者の集中力に大きく依存する
1⇒2は、説明者の巧拙と、学習者の繰り返しの量と質に依存する
2⇒3は、ある程度、インターバルを置いていると、あるとき突然に!

○ できなかったことができるようになる瞬間

弱点を繰り返す、少しずつ違った言われ方をされながら対応していく。これらは、比較的簡単にシステム化できるのではないかと思います。あんまり『瞬間』って感じではないかもしれません。

【2.その応用分野】

子どもの「教育」はもちろんですが、企業や組織体内でのコミュニケーションの効率化、採用、社員教育、評価。宣伝広告、新商品などのテストマーケティング、UI/UXの評価。いろいろなところで行われている各種「アンケート」の代替。細かいところでは、飲食店でお客さんの反応を見て、次に何をオススメするか。
「興味を持ってもらいたい」、「わかってもらいたい」、「わかっているのかどうか、知りたい」といったニーズは、人間活動のあらゆるシーンに存在します。もっといえば、結局人間のやっている事はそれに尽きるのではないでしょうか。

【3.小さな目標: 狭い意味での「学習」の効果を飛躍的に上げる】

「学習」において一番難しいのは、(とぼくが思っているのは)、『その子』の『今』を知ること。その術は相当限られている(経験など属人的なものになっている)こと。『その子』が『今』、本当は何を見ているのか、何を考えているのか、わかったのか、わからないのか。
うちはまだ、一対一で、また何年も継続的に見られるので、それなりにできることもありますが、学校などの集団授業で、また、科目ごと/学年ごとに先生が替わっていく場合に、『その子』の『今』を把握することは、ほとんど不可能ではないでしょうか。
そろそろ一人一人の学習サポータとして、コンピュータを活用できる時期にさしかかりつつあるのではないかなと期待しています。

【4.その具体例】

国語: そもそも読んでる?読めている子(単純に言えばテストで正解できる子)と、そうでない子では、目の動きにどのような違いがあるか。目の動かし方をガイドする。論理展開を色分けする。キーワードをハイライトするなど、読める子が自然にできていることを補助してあげることで、「読む」という行為の「型」をつけていく。 
算数: 条件文の整理、必要な数字・単位の見落としがないか。まだ使われていない条件がないか。Aという情報とBという情報からわかることは何か?今、正順で考えているのか逆順で考えているのか。 
学習全体:過去にどんな問題で間違えたか。どこに弱点がありそうか。それは今はできるのか。

【5.危険な目標: 膨大な「無意識領域」を活用可能にする】

話はとても飛躍します。
水槽でメダカを飼っています。
メダカを飼う環境を整えるのが大変です。
はじめに水質調査。pHや硝酸塩、亜硝酸塩、アンモニアの濃度、水の硬度などを調べます。理想の水質に近づけるため、バクテリアが安定して活動できる環境に整える必要があります。そして水草を育てます。水草は硝酸塩や二酸化炭素を吸収し、酸素を供給し、またメダカのおやつになってくれます。
一度環境ができれば、ある程度は定期的なメンテナンスで平衡状態が保たれるのですが、そのバランスが一旦崩れると環境は一気に悪化します。
人体内部、脳内で起こっていることも、生物的な反応であると考えれば似ているところが多いはずです。
たとえば、「方程式」を理解するために、どれだけの脳細胞が関連しお互い助け合っているのか。うまくいっているときは特に問題がないけれど、一旦環境が悪くなると回復するのはとても難しい。。。 
そして、さらに未来に話が飛躍します。
今の子どもたちが大人になる頃。『単に生きること』以上の生きる意味を感じられる【元ネタ】を若いうちから仕込んでおいた方が良いと思うのです。
より便利に快適に、苦痛からは解放される。一方ではより複雑で変化の激しい社会のなかで、たくさんの判断を同時並行的に進めなければならない。
わかりやすい【必要】とか【おもしろい】、【儲かる】だけではない、より抽象的な思考力を養い、自分の脳をより上手に使い、またある程度コントロールできることが理想ではないかと思います。
脳の興味の範囲、可動領域を広げ、活用法を獲得していく補助ツールとして、AIを活用することはできないかな、というのは、一歩間違えると危険な領域に入りそうな考えではあると思いますが。

** 無難なところでは、 
** 現代教養として、

** 現代数学、最先端の科学/技術、現代の思想、文学、芸術など
** 幅広く、学ぶことだと思います。
** 敢えて「現代」とつけたのは、いわゆる「教養」というと、
** 古い物事をどれだけ知っているか、みたいな話が多すぎるので。。。


(生きた教材から学ぶ:サッカーW杯編)決断の素晴らしさと、素晴らしさゆえの危惧

ぼくは今、子どもたちの指導・監督・コーチング・各種アドバイスをする立場なので、思うところありまして。 昨日の夜のサッカーW杯、 セネガルvsコロンビア 日本vsポーランド 終電で帰って、後半15分くらいから、 つまり日本とポーランドがお互いボール回しをしていると...