相対性理論から始めよう

20年後の未来のための学び方改革。新・碧山Fプレップスクールです。


これから先、何十年の未来を生きていく子どもたちが今、身につけるべき教養はなんでしょうか。

人工知能やロボットといったテクノロジーと共存していく未来において、その基礎となっている科学や数学を教養として学ぶ。それが、超・碧山Fプレップスクールの新・教養講座。


一部のおじさま方には、非常に評判悪いです(笑)。
1.難しそう
2.やりたくない
3.やる必要がない、やる意味がない
わかりやすいもの(占いとかえせ科学とか、自分が慣れ親しんだ「常識」とか)に引きこもりたいのです。
まあ、それは仕方がない。どうぞ。


一方では、大学生でも、ぼくよりも年上の方でも、「子どもだけにやらせておくのはもったいない」と前のめりの方もいらっしゃいます。
オープンマインドで、現場主義、独創的なアイディアにこだわっている方にその傾向が強いと思います。
今の子どもたちも、そんなおとなに成長していってほしいものです。


近代の行き詰まりを感じた先人たちの切り開いた世界。特に、数学や物理学は、世界の最高の頭脳が、国を超え、文化の壁を越えて、「真実」なるものに迫ろうと、時に協力し、時に罵り合い、一歩一歩積み重ねてきたもの。数々の難題、行き詰まりを、独創的なアイディアで切り開いてきました。

後代から見れば、「なんだそんなこと当たり前じゃないか」と。俺でもわかると。いやー、そこに感動できない人が、独創的なことができるとは思えない(笑)。


「ラプラスの悪魔」に代表される決定論的な虚無感、
個人よりも法人やシステム、金銭が優先され、「上」が決めた通りにしか動けない、「上」が決めれば何でもやる無責任感、
消費行動で経済に貢献し、ネットでの承認、批判の大合唱で同調を強める全体主義的社会から
一歩自立して、
□ 人類が達成してきたことの偉大さに心から感動し
□ 自然の不思議さに畏怖の念を抱き、
□ 知ることのできる限界に迫り、
□ パラダイムを変えることで広がる爽快感を味わう


少々が内引用になりますが、湯川秀樹の言葉です。
ふりかえってみると、1934年の秋に核力の理論の帰結としての中間子の存在に思い至った当時の私の心は不思議なほど自信に満ちていた。今日では物理学の理論というものは仮説の上に成り立つというポアンカレ流の考え方が常識となっている。私もその通りであると思う。しかし、だからといって、自明の真理から出発せよというデカルトの主張が無意味になったとは思わない。持続的に、そしてやや異常なまでに、一つの問題に思考力を集中させている課程の中で思いあたったことの一つが、自明であるように見えだす。だから、そこに自信が湧いてくる。それをさらに推進させようとする意欲も出てくる。それは客観的には、それからの結論と経験的事実との対比によって、はじめて正否が判定されるべき仮説である。しかし、当人にとっては、少なくとも初期のある期間は、それは「それ以外の可能性が考えられないところの真実」である。そういう両面性の一方だけしか認めない人とは創造性、特に理論物理学における発見とは何かについて、所詮ともに語ることはできない。


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