『なめらかな社会とその敵』 なるほど、しかし詰め込み過ぎ?
20年後の未来のために、青山プレップスクールです。
この本も、ずいぶんと長く、『積ん読』してしまいました。
==============
ざっくり超概要
◇ 核と膜
生物は、コントロールの主体となる核と
個体と環境を隔てる膜からなる。
多細胞生物になると、
脳と皮膚が同等の役割を担う。
社会においても同様、
コントロールする主体である政府(国家)と
他と隔てる国境が存在する。
◇ なめらかな社会
従来の社会は、膜がはっきりしていた。(ステップ関数)
膜の内側か/外側か、ON/OFF、1/0であった。
著者が理想と掲げるなめらかな社会は、
この膜の役割を、あいまいにする社会である。(シグモイド関数のモデル)
一個人が、何かの組織なり、社会なり、国家に、完全に所属するのではなく、
複数の組織に、分散的に、配分して所属する社会である。
◆ なめらかな貨幣(PICSY)
商品の購入代金が、販売者のみに渡るのではなく、
商品に携わったさまざまな人に、電波的に伝わる電子的なネットワーク貨幣。
◆ なめらかな政治(分人民主主義)
これからの社会問題は、一国の国内問題に限らない。
民主主義も、伝播委任ネットワークを使って投票システムを構築する。
◆ なめらかな国際関係
国家は、「敵」を想定することで、国内の結束を高めた。
国家が定めた敵(公敵)に対して、個人は特別に敵視はしなくとも、
国家として、自衛のための戦争を繰り広げている。
公敵なき社会を目指す。
◇ コンピュータと人間(社会)
チューリングの考えた万能機会主義時代から、
アラン・ケイが描いた身体環境主義、
インターネットの普及以降のネットワーク主義の特徴をそれぞれ明らかにし、
リアルとバーチャルが併存するパラレルワールドを描く。
もっともっと縮めて言えば、
今あるコンピュータ技術を前提とすれば、
まったく新しい社会を設計できるんじゃないの?
ということ。
しかし、いろんな要素を詰め込み過ぎの感は否めない。
筆者のアイディアのギリギリ限界まで書ききっている、
全体像を知ってほしいという勢いを感じる。
==============
この本も、ずいぶんと長く、『積ん読』してしまいました。
==============
ざっくり超概要
◇ 核と膜
生物は、コントロールの主体となる核と
個体と環境を隔てる膜からなる。
多細胞生物になると、
脳と皮膚が同等の役割を担う。
社会においても同様、
コントロールする主体である政府(国家)と
他と隔てる国境が存在する。
◇ なめらかな社会
従来の社会は、膜がはっきりしていた。(ステップ関数)
膜の内側か/外側か、ON/OFF、1/0であった。
著者が理想と掲げるなめらかな社会は、
この膜の役割を、あいまいにする社会である。(シグモイド関数のモデル)
一個人が、何かの組織なり、社会なり、国家に、完全に所属するのではなく、
複数の組織に、分散的に、配分して所属する社会である。
◆ なめらかな貨幣(PICSY)
商品の購入代金が、販売者のみに渡るのではなく、
商品に携わったさまざまな人に、電波的に伝わる電子的なネットワーク貨幣。
◆ なめらかな政治(分人民主主義)
これからの社会問題は、一国の国内問題に限らない。
民主主義も、伝播委任ネットワークを使って投票システムを構築する。
◆ なめらかな国際関係
国家は、「敵」を想定することで、国内の結束を高めた。
国家が定めた敵(公敵)に対して、個人は特別に敵視はしなくとも、
国家として、自衛のための戦争を繰り広げている。
公敵なき社会を目指す。
◇ コンピュータと人間(社会)
チューリングの考えた万能機会主義時代から、
アラン・ケイが描いた身体環境主義、
インターネットの普及以降のネットワーク主義の特徴をそれぞれ明らかにし、
リアルとバーチャルが併存するパラレルワールドを描く。
もっともっと縮めて言えば、
今あるコンピュータ技術を前提とすれば、
まったく新しい社会を設計できるんじゃないの?
ということ。
しかし、いろんな要素を詰め込み過ぎの感は否めない。
筆者のアイディアのギリギリ限界まで書ききっている、
全体像を知ってほしいという勢いを感じる。
==============
さて、一読しただけではありますが、
読みながら考えたこと。(必然的に、いろいろな話が混じりますが)
◇ ぼくたちは今、「社会がなめらかでないから、生きづらい」と感じているの?
そもそもの問題認識の話。
ぼく自身の問題なのか、ある組織(学校や会社)に、
すごくコミットしたことはないし、
(人と人、人と組織も、対等だ、と思っている)
もちろん、組織の中にいる時は組織を代表して
発言しなければならないことはあるが、
それがすべてではなかったと思います。
今、日本国に所属していますが、
日本のことはかなり好きだと思っているけど、
非才にして、政策に対して意見を求められたことも、
まして、取り上げられたことなどありません。
政府とは、同じ屋根の下にいても、最低限度しかコミュニケーションを
とらないし、互いに「養ってやってるのに・・・」と、思っている。
そんな程度の関係なのではないでしょうか。
もちろん、戦争や大災害など非常時はありますが、
ぼくたちの日常は、すでに相当「なめらか」なのではないでしょうか。
むしろ、「なめらか」になり過ぎて、
『膜』がどんどん溶けていってしまって、
『核』の求心力がどんどん弱まっていることに、
多くの人が不安を感じているのではないでしょうか。
新しい『膜』なり、『核』なりが求められている。
どの程度の求心力と、影響範囲、
どの程度の表面積と透過性を持つべきか
その研究のみに集中したとしても、相当広い研究対象だと思います。
あー、やってみたい。
ちなみにぼくは、
1つの実験として、100人程度の社会(塾)を作っています。
全員に目が届く中で、自分の責任範囲(道義的責任、社会的責任含め)の中で、
今暮らしていますが、とても暮らし心地がいいです。
規模を大きくすれば、経済的には豊かになるかもしれませんが、
( ↑ それすら、長期的に見ればアヤシい・・・)
お金のために、本来負えない責任まで負いたいかと言われると、
ぼくはそうじゃない。
組織やネットワークのデザインを、
生命からもっと学ぶべきという発想は、
とても共感します。
読みながら考えたこと。(必然的に、いろいろな話が混じりますが)
◇ ぼくたちは今、「社会がなめらかでないから、生きづらい」と感じているの?
そもそもの問題認識の話。
ぼく自身の問題なのか、ある組織(学校や会社)に、
すごくコミットしたことはないし、
(人と人、人と組織も、対等だ、と思っている)
もちろん、組織の中にいる時は組織を代表して
発言しなければならないことはあるが、
それがすべてではなかったと思います。
今、日本国に所属していますが、
日本のことはかなり好きだと思っているけど、
非才にして、政策に対して意見を求められたことも、
まして、取り上げられたことなどありません。
政府とは、同じ屋根の下にいても、最低限度しかコミュニケーションを
とらないし、互いに「養ってやってるのに・・・」と、思っている。
そんな程度の関係なのではないでしょうか。
もちろん、戦争や大災害など非常時はありますが、
ぼくたちの日常は、すでに相当「なめらか」なのではないでしょうか。
むしろ、「なめらか」になり過ぎて、
『膜』がどんどん溶けていってしまって、
『核』の求心力がどんどん弱まっていることに、
多くの人が不安を感じているのではないでしょうか。
新しい『膜』なり、『核』なりが求められている。
どの程度の求心力と、影響範囲、
どの程度の表面積と透過性を持つべきか
その研究のみに集中したとしても、相当広い研究対象だと思います。
あー、やってみたい。
ちなみにぼくは、
1つの実験として、100人程度の社会(塾)を作っています。
全員に目が届く中で、自分の責任範囲(道義的責任、社会的責任含め)の中で、
今暮らしていますが、とても暮らし心地がいいです。
規模を大きくすれば、経済的には豊かになるかもしれませんが、
( ↑ それすら、長期的に見ればアヤシい・・・)
お金のために、本来負えない責任まで負いたいかと言われると、
ぼくはそうじゃない。
組織やネットワークのデザインを、
生命からもっと学ぶべきという発想は、
とても共感します。