(学びの五輪書)何故、数学を学ぶか

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


よほど特殊な人でない限り、
大人になって、(算数はともかく)、数学を使う人は、かなり限られます。
だから、数学は不要か?

たとえば、野球部の練習メニューの中には、たいてい、
腕立て伏せとか、背筋トレーニングとかが、含まれています。
しかし、試合で腕立て伏せをすることがあるかというと、
そんなことはありません。
背筋トレーニングを、ひとつの競技として、
背筋力を競っているわけでもありません。

じゃあ、腕立て伏せは不要かといわれると。。。
代替手段があれば、必須ではないでしょう。

背筋トレーニングが好きだから、野球部に入る子もいないでしょう。
ただ、背筋を強化することが、野球にとって必要だからやるのです。


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ただ、現実には、
実際の試合よりも、腕立て伏せが好きな人が、
腕立て伏せという競技を作って、腕立て伏せを教えている。


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たとえそうであったとしても、
良い師にめぐり合うということは、人生の財産ですから、
その内容は何でもよいと思います。

腕立て伏せのことを、こんなにも愛している人がいるんだ

そこから、学べることは、豊かなものであるはず。

そういう意味では、
ただなんとなく、
自分もやってきたし、上からもやれと言われているから、
毎年同じことをしているだけの先生は、、、



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大変長い前置きになっていますが、

MBAという資格(?学歴)があります。
Master of Business Administration
経営管理学修士

その資格を得るために、ハーバードやMITといった
アメリカの有名大学の大学院に留学される方のサポートもさせていただいています。

大学院に入るには、他いろいろありますが、
GMATという試験を受けて、それなりの点数を取る必要があります。

その試験に、数学(日本で言えば、小学校高学年~高校1年くらいの範囲)が
含まれています。


なぜ、アメリカの大学院に入るのに、
(基礎的な)数学の試験をするのか?


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仕事、経営、管理、には、
数学的思考が必要になるからです。


逆に言えば、その基礎がないことには、
ビジネスという世界では、難しい。。。


仕事って、学生さんが思っているよりは、もう少しシビアなもので、
上司だろうが、年上だろうが、親会社の人だろうが、年下だろうが、下請会社の人だろうが、
出来ない人とは、あまり一緒にやりたくない。

自分の貴重な時間と、将来のキャリア、人生のある割合を掛けてやるわけですから、
当然です。


戦国時代であれば、
軍団の中に、一人弱いやつがいると、みんな足を引っ張られるわけです。
その結果、無駄死ににすることも、十分にあるわけです。
できれば、そいつとは、同じチームになりたくない。

現代ならば、さすがに仕事で死ぬことは、それほどありませんから、
若ければ、成長分を期待され、
かつての私の部下なども、まあ本当にのびのびと。。。
コミュニケーションさえ取れていれば、
上手くいかない時の対処と、上手くいかなかった時の責任だけ取ればいいだけですから。


その、コミュニケーションの根幹になっているのが、『数学的思考』です。


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特に若いうちは、『数学的思考』が必要なのです。

なぜなら、若いうちは、大抵の場合、【若造】として、仕事に混ぜてもらう形になるからです。

その【若造】が、「おれの勘では、これはこうだと思う」といっても、相手にされないですよね。
「わたしは、なんとなく、こうだと思います」と言われても、はい、そうですか。


経験や動かせる資金力、動かせるネットワークで勝負したところで、
若造は、太刀打ちできないわけです。


じゃあ、上から言われたことだけをしていればいいか?
大抵の場合、上司も本当のことは何もわかっていないのです。
むしろ、自分の方がわかっている場合もある。


そういう時に、順序立てて、論理的に話を進められれば、
たとえ、上司の意図に沿わぬことであったとしても、
事実と論理がきちんとしていれば、OKと言わざるを得ないのです。


そうやって経験を積んでいけば、
そのうちに、経験による知識もついて来て、
「なんとなく、こっちの方がいいと思う」
といっても、「あの人が言うならば」と思ってもらえるわけです。


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ぼくは今、
普通とは逆のプロセスで、
仕事の現場から、数学の問題に戻ってきたのですが、

そこで感じることは。


仕事で使う頭の使い方と、数学で使う頭の使い方は、
一緒だということ。


だから別に、数学に限った、難問・珍問の類ができたらいいとは、
そんなには思いません。


それよりは、頭の使い方、どの部分が鍛えられているか
(かなり幹の部分)
ということを意識して欲しい。


数学の問題の解き方も、
ぼくなりにまとめてみると、5種類でした。
(それを、多いと見るか、少ないと見るか)


そのきっかけで、『五輪書』を読んでみたら、
なんと符合することが多いことか。。。


ということで、『五輪書』を、これから読んでいって、
それが、現代の現実社会に、どのように用いることができるのか、

そういうシリーズを始めます。







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