(本)『次郎物語』(上)



男の子をお持ちのお母さん、将来のお母さんには、
ぜひ読んでいただきたいと思いました。

「男の子のわけのわからなさ」が、よくわかるのではと。

「運命」「愛」「永遠」 次郎の少年時代のさまざまな葛藤を描いた物語です。
引用(第一部より)
「そんなにやきもきするからなおいけないんだよ。」
「では、どうすればいいんですの。」
「つまり、教育しすぎないことだね。」
「だって、私には放ってなんかおけませんわ。第一あの子の将来を考えますと・・・」
「将来を考えるから、無理な教育をしないがいいと言うんだよ。」
「でも・・・そりゃあわましいまねをするんですよ。人が見ていない時に、飯櫃に手を突っ込んで、ご飯を食べたりして。」
「何もかも、もうしばらく眼をつぶるんだね。それよりか、差別待遇をしないようにきをつけることだ。」

もし、周到な用意をもって、大胆に事を行なうということが、それだけで人間の徳の一つであるならば、彼は、こうした生活の中で、すばらしい事上錬磨をやっていたことになる。しかし、策略だけの生活から、必然的に育つものの一つに残忍性というものがあるのだ! 

しかし、万一にもそのことが、お前んとこの喜太郎にわかり、それから次郎にもわかったとしたら、いったいどうやるんだ。・・・ねえ庄八、お互いに子供だけは、金でごまかせない男らしい人間に育てあげようじゃないか。

今では、彼は全く色合いの異なった三つの世界をもっている。その第一は、母や祖母の気持ちで生み出される世界、その第二は、お浜や父や正木一家に取り巻かれている世界、そしてその第三は、彼が入学以来、彼自身の力で開拓して来た仲間の世界である。この第三の世界は、新鮮で、自由で、いつも彼を夢中にさせた。彼が第二の世界を十分に愛しつつも、第三の世界のために、より多くの時間をさくようになったのに、不思議はなかった。

およそ世の中のことは、慣れると大てい平気になるものだが、差別待遇だけは、そう簡単には片づかない。人間は、それに慣れれば慣れるほど、表面がますます冷たくなり、そして内部がそれに比例して熱くなるものである。

「だから、商売でもうけて、大学へでもどこへでも、はいれるようにしたらいいじゃないか。」
「人間は、卑しくなってしまっては、学問も何もあったものではありませんわ。」
「なあるほど、お前はそんなふうに考えていたのか。・・・だが、もうそんな時代おくれの考え方はよしたほうがいいぜ。これからの世のなかは、まかり間違えば、子供を丁稚奉公にでも出すぐらいの考えでいなくちゃあ・・・」
「まあなさけない!」
「大学を出たって、丁稚奉公をしないとは限らないんだ。」

「しかし、心配することはない。人間というものは、心がたいせつじゃ。心さえまっすぐにしておけば、家なんかどうにでもなる。」

次郎は、声をあげてそれを仰いだが、その光が空に吸いこまれると、彼の眼は、いつの間にか北極星を凝視していた。 しかし、彼が「永遠」と「運命」と「愛」とを、はっきり結びつけて考えうるまでには、彼は、まだこれから、いろいろの経験をなめなければならないであろう。

彼はこの謝罪には、少しの偽りもなかった。かといって、それは純粋な感情の表示でもなかった。この言葉の奥には、感情とともに理性と意志とが働いていた。彼はもう一個の自然児ではなかった。複雑な人生に生きて行く技術を意識的に働かそうとする人間への一転機が、この時はっきりと彼の心にきざしていた。それほど、彼は、彼自身と周囲との関係をおもおもしく頭の中に描いていたのである。

ところで、そうした賛辞は、次郎にとって大きなよろこびであるとともに、また強い束縛でもあった。彼はいつも人々の賛辞に耳をそばだてた。そして、一つの賛辞は、やがて次の新しい賛辞を彼に求めさせた。彼は、彼自身の本能や、自然の欲求に生きる代わりに、周囲の人々の賛辞に生きようと努めた。それも彼の本能の一つであったといえないことはないかもしれない。しかし、そのために、彼が次第に身動きができなくなって来たことはたしかだった。しかも、時としては、彼は、そのために、心にもない善行にまで追いつめられることさえあったのである。

そう気がつくと、彼はすぐ立ちあがった。むろん彼はこれまで、叱言を言われない先に自分から進んでだれにも謝罪をした経験がなかった。だから、ちょっと勝手がちがうような感じだった。しかし彼は、もう一刻もぐずぐずしている時ではないように思ったのである。 

彼は、「運命」によって影を与えられ、「愛」によって不死の水を注がれ、そして「永遠」に向かって流れて行く人生のすがたを、彼の幼い知恵の中に、そろそろと刻みはじめていたのである。 

第一部より



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