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9月, 2011の投稿を表示しています

(NYJ)どうして広島ファンが多いのか?

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すごくどうでもいいことですが、

最近、ぼくの周りに、『広島カープ』のファンが多いです。
昔は、そんなことなかったと思うんだけど。。。

ぼくのいた、石川県の金沢では、(あくまでぼくの感覚ですが、)
巨人ファン: 43
阪神ファン: 27
中日ファン: 27 (小松投手が星陵出身)
大洋ファン:  1 (現在の横浜)
広島ファン:  1
ヤクルトファン: 1

くらいの割合だったと思うのですが。。。


ちなみに、ぼくはヤクルトファンですが、
小中高と、同学年にヤクルトファンはぼく一人だったと思います。 (みんなとは違う目線で、野球を眺めていたのだなあ)

それが、今ぼくの周りで野球のことを話題にする人の、 8割くらいが広島ファンときている。 (それも、それぞれまったく関係のない人たち)
これは一体どうしたことか!

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考えられるのは、以下の可能性。
A: 広島ファンが増えている
B: 広島ファンが、熱心に野球のことを話題にする
C: ぼくが、広島ファンを集めるを【何か】を持っている
D: 気のせい
E: たまたま

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早速検証していきましょう!


と思ったけど、検証は明日にします!


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壊れる構造、腐る技術、生まれ変わる仕組み

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


今、ぼくたちが、次の世代のためにできること、
それは、何でしょうか。

● 絶対安全な発電システムを作ること?
● 巨大な建造物で、日本国土を埋め尽くすこと?
● 「健康」で、「衛生的」で、「安全」で、「安心できる」 世の中を作ること?
● すべてを、「わかりやすく」すること?

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ぼくは、いわゆる団塊ジュニア世代です。
同級生が、200万人弱。(今の、33歳~42歳くらいまでの世代)

これは、
今の大学生の世代の、約1.4倍。
今の小中高校生の世代の、約1.7倍。
に相当します。


原則、多数決が採用されている現在の仕組みでは、
一票の格差の違憲性が問われるほどではないにしても、
(衆議院で2倍程度、参議院で6倍程度)
政治も、経済も、ぼくらの世代を、現在または将来の中心とみなすでしょう。
それは、そういう仕組みだから。

そして、このまま世の中が推移した場合、
なんだかんだで、ぼくたちの世代も、次の世代にいろんなものを先送りすることになるでしょう。

▽ 年金にせよ
▽ 財政赤字にせよ
▽ エネルギー問題、放射能の問題
▽ 食糧問題
▽ 高齢者医療の問題
▽ 自然環境の問題
などなど

これらは結局、先行者が良いとこ取りをして、
その債務を、将来に先送りしてきたものたちです。


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しかし、それ以上にぼくが、気の毒だと思うことは、

▼ 「もの」をつくり過ぎてしまったこと


=======


・ 新しい「もの」を作りたい、
・ もっといい「もの」を作りたい、
・ 今までにない、自分たちや今の時代を象徴する「もの」を作りたい
別に物にこだわりません。
新しい考え方、発想、アイディア、解釈、芸術、音楽、文学。。。

そういう欲求って、人間だれしも、心のどこかには持っているのではないかと思います。

その、欠乏感が、創造力を生み、
希望を与え、克己心を養う。


しかし、もし、生まれてからずっと、
・ 大体必要なものはすべて揃っており、
・ 特に生活上苦労することもなく、
・ すべてのことに、「やり方」が決まっていて、「最適な方法やテクニック」が用意されていて、
・ 何か作ろうにも、そのためには今あるものをなくすのが先決だったら。。。

(そのくせ、就職活動では、「創造的な人材」とか言われちゃうわけですから、、、)



=…

大学院でも行こうかな

昼間の時間があるので、
大学院にでも行こうかな、

そんなこともちらっと思ってみました。

これまで4年間(とはいえ、授業時間数的にはおそらく教師10年分以上?)
ずっと、生徒一人一人を見てきたので、

□ それを一旦体系的に整理しておくため
□ また、最先端の研究に触れるため

研究したいことは
★ 認知
★ 体と脳の関係
★ デザイン
★ 家族、社会、文化と教育
あたりか。。。


東大の教育学科か、情報学館あたりか、、、
でも、こちらの授業もあるから、
そんなに通えないだろうし、
単位取れずに中退ってことになる可能性大だしな。。。



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走りながら考える? 立ち止まって考える?

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

ちょとだけ、原発の話。

変化の激しい世の中で、特にビジネス界では「走りながら考える」というのが、
ある種、流行といいますか。
孫子にある
「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」

ぼく自身も、多くの事柄については、「走りながら考える」派です。

それが特に、戦争とか、ビジネスの話なら時間は貴重な資源だということはわかります。
しかし、今、
原発再起動にせよ、脱原発にせよ、少し立ち止まって考えるべきではないでしょうか。
(一部の人にとっては、戦争であり、ビジネスの話なのでしょうか)

福島の原発が落ち着いたわけでもなく、
海外からは、日本の隠蔽体質も含めて批判を受け、信頼を失い、
両陣営とも、既成事実作りに必死になっているように感じます。

たしかに既成事実化してしまって、もう後戻りできなくするというのは、
これまでよく使ってきた『成功事例』なのでしょう。

しかし、そもそも100%の安全なんてあり得ない。
◆ 自動車によって、毎日何人の命が奪われていることか
◆ 農薬、排気ガスなどの本当のリスク
◆ 医療技術の発達と、それに伴う弊害
◆ 環境破壊、地球温暖化の話
◆ いやー、人工衛星の方が危ないよ
などなど

原発の話だけを取り上げて、
それが100%安全でなければ、NOだというのは、
ぼく個人としては極端だと思います。

一方では、だから結局、経済を最優先に考えて、
なんだかんだ騒いでも、みんなお金があれば文句も減るんだという考え方。
賠償金や、助成金、寄付などで、解決すればいいという考え方。
もっと言えば、今こそビジネスチャンスだという考え方。
いずれも、ぼくとしては、NOです。

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民俗学の宮本常一さんの名著『忘れられた日本人』

忘れられた日本人たちの『寄合』は、
全員一致の結論が得られるまでは、
(それを得ることが目的であったかさえ微妙ですが)
何日でもずっと話し合い(?)をしていたそうです。

昔は良かったと言いたいわけではありません。
ただ、今この問題に関しては、
そして、これから日本をどうしていくか、
ということに関しては、
一度、時間を止めて、徹底的に話し合った方がいいのではないかと思います。


秋分の日

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


最近の小学生が、ぼくの頃と違うのかなあと思う1つ。


『祝日を覚えていない』


ぼくが小学生のころは、何月何日が何の祝日で、
ということを、熱心に(笑)、覚えていました。

だって、
学校(授業)がない、1日中遊べる、貴重な日。
たとえば、9~11月は祝日が多くてラッキーとか。

ところが、最近の小中学生(もちろん、ぼくが見ている子なので、数は限られますが)
休みであることは当然わかっているのですが、
何の休みか、何月には何の休みがあるか、
ってことはあまり知らないんですね。

原因を考えてみるに、、

A.ハッピーマンデー制度により、祝日の日付が固定されていない

B.祝日が増えたのでいちいち覚えていられない (なんやかんやで、しょっちゅうお休み)

C.学校などで、教えていない

D.昔も、みんな知らなかった

順に検証(?)してみましょう。。。


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A.ハッピーマンデー制度により、祝日の日付が固定されていない

   ハッピーマンデー制度は、週休2日制が定着し、
   またバブル崩壊後の景気低迷の打開策として?、
   アメリカなどを参考に移動祝日を採用
   2000年~成人の日、体育の日
   2003年~敬老の日、海の日

   思ったより少ないんですね。知らなかった。
   もうぼく自身もさっぱり祝日はわからなくなってしまっている事実。
   そして、今の小学生たちは、生まれたときからハッピーマンデーなんですね。


B.祝日が増えたのでいちいち覚えていられない (なんやかんやで、しょっちゅうお休み)

   ぼくが小学生のころから比べて増えた祝日。
   ・ みどりの日(5月4日)
   ・ 海の日(7月20日くらい)
   ・ 天皇誕生日(12月23日)
   総数で、12→15になった。
   25%増量なので、まあ大変か。


C.学校などで、教えていない

   そんなことはないだろうと思います。
   思うだけ。


D.昔も、みんな知らなかった

   これは、意外と見過ごせない?    ぼくはたまたま、ドラえもんで読んでただけかもしれない。
   14巻の『ぐうたらの日』
   のび太が、「6月は祝日がない」と文句を言っていた。
   それで、またぼくではなく、妹が興味を持って調べ…

ぼくが、語学が苦手な理由

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


いきなり、言い訳がましいタイトルで、すみません(笑)。。。


これまで、英語はもちろん、フランス語、ラテン語、中国語、スワヒリ語、ベトナム語、フィンランド語、、、
数々の言語に挑戦してきたぼくですが、
それだけやってみても、「語学の才能ないな」と感じてしまうのは、本音です。


なぜ、そう感じるかというと、言葉選びが下手。

なぜ、言葉選びが下手かというと、
自分の気持ちを完全にあらわす言葉を探そうとしてしまうからだろうなと思っています。
そんなものあるわけないのに。


でも、だからと言って、借りてきた言葉を使ってしまうと、
自分の考えや、気持ちまでもが、言葉に支配されてしまうのではないか、
という、漠然とした恐怖感があり、
それをぬぐい去れないからだろうなと思います。


● そんなこと気にせずに、どんどん使っていかなきゃ!
● 使っていくうちに、自分の気持ちを乗せられるようになるよ!


そうだと思います。
でもやっぱり、気にしちゃうんですね。。。

たとえどんな状況であろうと、
自分の言葉には責任を持つものだという気持ちが強すぎるのか。

だから、才能ないなと。


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たとえば、ものすごく単純な例ですが、





↑ これを表現したい時、

『りんご』 、『リンゴ』 、『林檎』 、『アップル』 、『an apple』、、、

それぞれ、ぼくの中に想起されるイメージが異なります。
同様に読む方も、それぞれ違ったものを思い描くことになると思うのです。

そこで迷ってしまうんですね。。。


そこまででなくても、

りんごと言って、日本人が(もしくはぼくが)イメージするのは、

津軽富士をバックに広がるりんご畑であったり、「リンゴの唄」 (古すぎ!)冬りんごみたいなほっぺ などなど。

でも、これって絶対に、アメリカ人が、APPLE と聞いて思い描くものと違いますよね。。


だから、実際の色が、

りんごみたいな赤であったとしても、

どう表現するかは、文化により、個人により、状況により、異なるはず。



そんなことをいちいち考えると、

言葉選びに大変苦労してしまうのです。。。



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知的野生児

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


先の見えない世の中、
気持ち悪いニュースも多く、
いったい何を信じていいのやら。。。


答えは簡単。


基本的には人を信じるけれども、
自分で判断、行動し、その責任を持つ
ということだと思います。


ただ、そんな簡単にはいかないのが現実です。

現実には、追いたくもない責任を負わされたり、
現場が大変なのを見て見ぬふりしなければならなかったり、
大して必要もないけど、それがさも必要なように言わなければならなかったり。。。


大きな破たんでも迎えない限り、
現状の不安定さは、どんどん増していくでしょう。
それを、必死に食い止めようとすればするほど、
隠れたリスクは増大し。。。


こんな時代に、どこかに逃げ込んだり、
寄らば大樹、といった発想こそが、むしろとってもリスキー。
だけど、学校ではそんなことを教えてくれないから、
(学校はずっとピラミッド型の組織を脱せないでいるから)
どんどん時代と、人材のミスマッチの溝が深くなっているように感じて胸が痛みます。


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そこで考えられるのは2通り

1. 時代に合った人材を育成する

2. 時代が一周するのを待つ

どっちもありだと思いますし、個人的には後者が好みです。


サークルだ、ボランティアだ、英会話だ、と忙しそうに頑張っている学生よりも、
ひたすら本を読んでいたり、数学を勉強していたり、
1つのことでいいので没頭してる学生の方が、将来性を感じます。


なぜ?


それは、そこにきっと手触り感があるだろうと思うからです。

外から知識として植え付けられたことなんて、簡単にはがれてしまいます。

手触り感をもって感じられたことならば、
たとえ、偉い人に否定されようが、
自分には何か感触があるはず。
偉い人だって、実はほとんど何もわかっていないのです。
時間と情熱を掛けたものでないと、手触り感はわからなく
人間には、時間的制約が付きまといます。
(だから、長くやっている人は、やはり単に偉いという以上に価値があると思います)
が、所詮それにしたところで、その人の感覚でしかない。

もう最後は自分の感覚でしかなく、そんなものも、時や状況とともに
どんどん移り変わってしまいます。


□ 誰かに聞けば、明快な回答が得られる

□ 東大に入れば…

思考体力、試行体力、、、

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


20年後の未来のために、
「これだけ!」は、養って欲しいなと思うことを1つ挙げると。


『頭脳の体力をつけること』


もう少し具体的に言うと、

考え続ける体力

です。


ぼくはいつも、生徒さんや東大生たちに、質問しています。

できるだけ、彼らの土俵の近いところ、でもちょっと外れたところを。

少し自分の得意なところから外れているので、

考えること自体、負荷になります。

何か答えが返って来ても、

「どうして?  なぜ?  ほんとうに?」

と、ぼくが聞き返してしまうので、

かなりハードと言えばハードです。


ぼくも答えを求めているわけではなくて、

ずっと考えて欲しいこと、

一旦は結論が出たと思っても、また何年も経つとその結論は不十分だったな

と再構築をし直すこと。

何か、自分の中にテーマを持って、

それを考え続けることをして欲しいのです。


野球が好きなら、野球でいいです。

音楽が好きなら、音楽でいいです。

文学が好きなら、文学でいいです。


何か、自分の中のテーマを持って、

いろんな物事をそのテーマと関連付けて考えられ、物事に取り組めると、

その時その時、もちろん悩みはあっても、トータルでは充実した時間を過ごせるはずです。



逆に、そうでなかったり、自分のテーマとの関連付けができないと、

周りに流され流され、気が付いたら思いも寄らぬ自分で制御不能な領域にいたり。


ぼく自身は、野育ちで(笑)、

正式に人に物を教わったりということが、あまり性にあわず、

いつも独学で道を切り開いてきたような気がします。

もちろん、節目節目にお世話になった方々、影響を受けた方々はたくさんいらして、

たくさんのものを吸収させていただいたと感謝しています。


しかし、たとえ、ぼくの中のすべての要素は、他人からの借りものであったとしても、

その組み合わせ方は、ぼくだけのものであり、

自分の人生を、(当たり前ですが) 何かに委ねることなくやって来られているんじゃないかな。



依存がないだけ、自由ですし、

リスクもありますが、自由です。



そして、ある程度リスクに身をさらしている方が、

安心しきっているよりはずっと安全であると、

これからの世の中を想像して思うわけです。



別に、独立開業しなさい、とかそんなことは一切思いません。

(しないで済むなら、むしろしない方が。。。が本…

アオスジアゲハ

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今日、
アスファルトの上に歩いている
アオスジアゲハの幼虫をみつけました。

アオスジアゲハの成虫は、左の写真。

子どもの頃、
とても好きだったのですが、
なかなか素早いヤツです。

そして、もっと憧れていたのが、
その幼虫。

でも、楠の高いところにいて、なかなか捕まえることができませんでした。
一度だけ、山で捕まえたことがありましたが、その一度だけ。

そんな憧れのアオスジアゲハの幼虫に、
なんともまあ、簡単に。

昔の苦労は何だったのか。。。

と思いつつも、世の中そんなもんだな。

どんなに努力しても手に入らなかったものが、
ある時ふっと、いとも簡単に手に入ったりする。

好きだったことを、ずっと忘れさえしなければ、
そんな感動に出会えるチャンスが、
年を追うごとに増えていくのかな。

好きな気持ちは、忘れちゃいけないな。


ちなみに、その幼虫って、
こんなヤツです。







サナギも、とってもユニークです。







生き物の不思議な、 色、形、、、
絶対人間には想像も創造もできない。




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「わかる」ことと、「できる」こと

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


今更ながらですが、

「わかる」ことと、「できる」ことは、違いますよね。


□ この人が本当にわかっているのか?

□ そもそも、私がそのことを、本当にわかっているのか?


「わかっている」と言えば、わかっていることになるのかもしれませんしが、

それでは、自白による証拠しかないということになります。


他に証拠はないのか?

ソクラテスは、対話によって、それを確認しようとしました。
しかし、結果は、誰も何もわかっちゃいないということが明らかになっただけで、
彼は恨みを買い、老人であるにもかかわらず、投獄され、死刑に処された。(ということになっていますよね)
物証はないか?

そこで発明されたのが、「テスト」です。
このテストが『でき』れば、
あなたは、おそらく 『わかっている』 と見做して(推定して)よいでしょう、と。
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ところで、そもそも、『わかる』ということは、必要なのでしょうか?

   『わかっ』てようが、わかっていなかろうが、

   良いものが『でき』れば、それで良い。

   レストランを例に挙げれば、

   料理人が、料理の奥義について、歴史について、未来について、

   『わかっている』 ことを、ぼくたちは求めているでしょうか?


   そんなことないでしょ、とぼくは思います。

   うまけりゃ良い


   日常のほとんどは、その論理で埋め尽くされていると思います。


この、『日常のほとんど』は、

というところが、大事なポイントだと思いますが、それはいったん置いておいて。



ということで、ぼくたちのほとんどは、

ほとんどの場合において、

『できる』ことを求めているわけです。 おそらく


◆ 如何に効率よく、『できる』か?

◆ 如何にミスなく、『できる』か?

◆ 如何に安く、『できる』か?


それを求めた結果、

◆ 街は、直線だらけになり、

◆ 仕事多くは、機械化、コンピュータ化されることになり、

◆ 生活は、安全、清潔、快適、便利になり、

◆ 勉強は、パターン暗記

になりました。


そして、人は、どんどんと、『機械化』、『コンピュータ化』 されて行き、

(それら総合して、ぼくは、『ムシ化』と呼んでいます。
  一寸の虫にも、五分の魂。
 きっと、ム…

テスト勉強禁止令!!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


ついに、、、

『テスト勉強禁止令』 を出してしまいました。


★ 試験直前に何とか間に合わせれば大丈夫


そんな考えを払しょくするために。


そして、毎日毎日の学校の授業に集中して、

□ わからないものを積み残さない。

□ たとえ、明日テストがあっても大丈夫なように


テスト前のことを想像するだけでも、ちょっと恐ろしいよね。

だって、部活もなくなって、みんな勉強したり、その話したりしてるのに、

自分だけ、勉強できないんだよ!


その時きっと、「勉強してー」って思うだろうね。



そして、そんなことがあっても、結果悪かったら、

学校の先生になんか言われるんだよ。



きゃー




「勉強しなさい!」 というより、効果がありそうです(笑)。




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(就活)コミュニケーション能力とか、ウソだと思う

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


今年の大学4年生の就職活動は、長期化しているようですね。

大企業で見ると、それほど採用状況は悪くないようですが、
震災の影響もあり、長期化していると。


ところで、最近の企業が求める人材像とは。。。

   ★ コミュニケーション能力
   ★ 論理的思考力
   ★ 人間力

が人気だそうです。

が、実態は違うだろう。。。とぼくは思っています。


たしかに、『ゆとり世代』と呼ばれる世代に対する、
ある程度の特別な配慮はあるとして、
根本的な部分は、
良くも悪くも、変わらない、変えられないだろうと思うのです。


たとえば、『コミュニケーション能力』

自分の考えがしっかり定まっていないから、
そして何を言っているのか、自覚が追い付いていかないから、
言っていることが支離滅裂になる。

借りてきた言葉になる。
即意当妙な答えができない。

相手の言っていることを、自分のフレームの中で、
自分に都合の良いようにしか解釈できない。


少子化になり、ネットが普及し、ムラ的になっている現代で、
そういうことは、しばしば見られると思いますが、

それって、よく考えれば、
今に限ったことではありませんし、
『ゆとり世代』に限ったことでもありません。

率直に言ってしまえば、ぼくにもそういう面はあります。
(社会で生きる以上、当然だとも思っています。
  あー、こういうこと言えば良かった、
  もっとああ言えば良かった。
  言い過ぎた。
  そんなことだらけです)


そんなことは、採用担当者は当然わかっているはずで、
20歳そこそこで、完璧な受け答えができる方が、
特別というか、ある意味ちょっと不思議。。。
もっと言えば、ちょっと気味が悪い。。。と感じるはず。
社員を、完璧な営業マシーンなどにしようと思ってれば、諸手を挙げて歓迎でしょうが。


つまりは、全然そんなことを求めていないのに、
会社はそのようにアナウンスしている。
これは、どのようなことかというと。。。。


会社の指示や意図を、きちんと理解し、または汲める人でないと困りますよ。


社会全体が、臆病になっている現代。
『リスク管理』、『○○管理』、『○○管理』。。。

細かく細かく管理することが必要だ!

すべてを細かく管理して、誰からも突っ込まれないようにすること!

そんなことに、汲々となって、膨大…

永遠の素人でありたい

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


ぼくは、常々、何事に対しても、

永遠の素人でありたいと、

思っています。


責任持ちたくない、とか、そういうことではございません(笑)。


【素人じゃなくなった時の、3つの弊害】

   1.傲慢
   2.油断
   3.生産者側の論理

なるべく、なるべく、避けたいのです。



『常に初陣』



これは、大泉洋さんがおっしゃったことばですが、

その気持ちを、私も大切にしたいなと。



慣れてくると、細かいものを見落としたり、大体こうだろうと決めつけたりが

どうしても出てきますよね。


でも、ぼくは考えることを仕事にしていますので、

その、考える元ネタは、インプットされた情報なのです。

インプットがおろそかになっては、正しく考えられない、

したがって、アウトプットがおかしくなってくる。。。


そういうことを、なるべく避けたいと、


いつも初心で、

注意深く物事を観察したいと。


なかなか、なかなか、できないのですが。




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どうして、セミは逆さまになって死ぬの?

夏も終わり、秋風が心地よいですね。
(と思ったら、今日はちょっと暑い?)


8月の半ばを過ぎたあたりから、
たくさんのセミやコガネムシの仲間の死がいが、
道端に見受けられます。


これを見て、不思議に思ったことはありませんか?


ぼくは、子どもの頃(今でも?)、大変不思議な思いをしています。


虫たちはどうして、逆さまになって死ぬんだろう?


数えたわけではありませんが、ほとんどが逆さまじゃないですか?
他にも、たとえば、
殺虫剤で、蚊やゴキブリを殺した時も、
彼らはほとんど、逆さまになりませんか?


みなさんは、どうしてだと思いますか?



現段階での、ぼくの仮説は、これです。


逆さまになって死ぬのではなく、逆さまになったやつが死ぬ


一般に、虫たちは、背中が重たい構造。
かたい殻が付いていたり、羽が付いていたり。

そして、多くの虫たちは、ひっくり返った時に、起き上がるのが大変。
元気なものでも、ジタバタもがいて、とっかかりを探しています。

仰向けに落ちてしまったセミは、
ジタバタしている間に、どんどん体力を消耗してしまい、
そのうちに。。。


どうでしょう?
小学生のころから知ってた?

いえ、これが、本当かどうかもわからないのですが。。。


確かめてみたいのは、

□ そもそも本当に、逆さまで死んでいるのか?その確率は?

↑ これはすぐに、確かめられそうですね!

□ 死んでるセミを落としたら、どの程度の確率で、裏返るか?

↑ これはすぐに、確かめられそうですね!

□ ひっくり返った状態から、起き上がるために必要な、エネルギー

↑ これは、どうやって確かめたらいいんだろう?
   1粒300mとかの、栄養があれば、わかりやすいのですが。

□ ひっくり返っているセミを、表にしてあげたら、どの程度寿命が延びるか?


↑ これは、やってみるしかないのでしょうか。
   でも、飛んじゃったら追跡が大変そうですね。



派生の疑問。
   『 人は、どういう姿勢で死ぬのが、一番自然なんだろう? 』


ムシ関連の疑問。
   『 ハエは、どのくらい長く飛び続けられるんだろう? 』
   これについては、小学生のころからずっと、失敗談があります!

   『 生きものは、一生のうちで、どのくらいの範囲を行動するのだろう? 』

   『 行動範囲の広さと、生きものにとっての幸せに、相関はあるのだろうか? 』

   …

Because I love you

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

中学生と、英語の勉強。

(教科書本文より)
One day, Mother Teresa found a dying man.No one would go near him because he was very sick.Mother Teresa and her friends took care of him. The man asked,"Why are you helping me?"Mother Teresa answered,
"Because I love you."

最後、、、


訳せないですよね。

訳さなくていいですよね。






(以下、授業風景)



(ぼくが、インドに行った時のことを思い出しながら。。。)

インドの、スラム街ってわかる? はっきり言って、汚っいのね。
道端には、いーろんな人が、人かどうかさえもわからないくらい、
汚れた毛布にくるまって、
生きてるか、死んでるか、わからないような人が、たっくさんいるのね。

そういう人たちの中には、もちろん、病気の人もたくさんいて、
本当は伝染らないんだけど、でも、見た目けっこうすごい病気とか、
中には、伝染る病気もあるし。
まだまだ名前もわからないような病気って、たっくさんあるのね。名前があるだけましというか。

ある日、マザー・テレサは、 一人の死にかけの人をみつけた。みつけちゃったね。
dying って、die の進行形だね。

見ず知らずの、
見るからに重病で、
(言い方悪いけど、)どうせもうすぐ死んでしまいそうな人
どんな処置をしても、助かりそうもない人
ね。


だーれも、その人に近寄ろうとしなかった。
この would 、will の過去形だね。でも would は後々、いろいろ面白いよ。

なぜなら、その人はとっても重い病気だったから。
そりゃそうだよね。
悪いと思うけど、やっぱり何というか、怖いよね。


でも、
マザー・テレサと、その友達は、彼を介抱してあげたんだね。
すごいね。


その男の人は、言った。「どうして、私を助けてくれるの?」
そりゃそうだよね。