文明の限界?とはぼくは思わない。むしろ。。。

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

震災を経て、原発事故を経て、
『科学文明の限界』といった論調をよく目にするように思います。

ETV特集「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」  

超要約すれば

人類とは、知的好奇心を以て繁栄し、
しかし今、その知的好奇心の結晶である科学文明によって、
自らを破滅に追い込もうとしている、
これは、人類の業である

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

ぼくは、以下のように考えます。
人類に知的好奇心があり、
それには、良い面と悪い面、光と影は、当然にある。
しかし、今回の事故を見ても、

* では、科学文明がなかったら、震災や津波の被害は防げたのか?
* 科学の敗北でもあるが、もっと人間的なものの敗北ではないか?
(組織を守りたい、考えたくないことは見たくない、昨日までは大丈夫だった。。。)

知的好奇心そのものよりも、
名誉欲、金銭欲、権勢欲、事なかれ主義、、、
そんなものが、判断を狂わせたのではないか、
もっと言えば、
もはや現代は、
狂いっぱなしであることが常態化していて、
たまたまその一部が表れただけではないか。


そして、それをもたらしているのは、、、
知的好奇心というよりは、

「将来に対する不安」

であると、ぼくは考えています。

現状に満足していても、
いや、むしろ満足しているほど、
将来のことを考えると不安でいられなくなってしまう。

何とかしておきたいと思う。
もっと偉くなっておけば安心ではないか、
もっとお金があれば安心できるのではないか、
公務員か、大企業に勤めれば安心ではないか
やりたいこと別に無いけど、東大行けば安心ではないか

それこそが、「業」ではないかと。


将来のことはわからない、
(もっと端的に言えば、いつ死ぬかわからない)
ある意味そんな当たり前のことを、
いつの間にか受容できなくなり、
だから、過剰なまでに、
地位を守りたい、お金が欲しい、安全神話、もしくはその反動での引きこもり
などなど。。。

「将来のことはわからない」

そのことを再認識しつつ、
しかし、それを受け止めつつも、しっかりと生きていくこと。

それがぼくは、『光明』であると思います。
番組内にもありましたが、
日本人には、何千年と培ってきた『無常観』があり、
それこそが、キーワードではないかと考えているわけです。

以前も書きましたが、
日本人は、逃れてきた民族であり、
古代から地震先進国であり、
公を重んずることができる民族であり、
無常を受け入れられる民族であり、
だから、今こそが、とってもチャンスであり、
特に20代以下の人たちには、
非常にぼくは期待しているのであります。


特に歴史とか国文学とか勉強している人は、
不遇の時代を終えて、これから来ますね!
もちろん科学も、しっかり勉強して欲しい!

未来をつくる、世界を変える、
(別に覇権国になれ!とかそういう意味でなく、
そんな次元でない、新しい解があるはずです)
そんな時代です。


ぼくはそう考えますが、如何でしょうか。






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