2011年2月25日金曜日

昨日の自分には出来なかった選択を、今日するということ=それが成長

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


受験、就職、(転職)、(結婚)。。。

人生には、年齢に応じて(ある程度)自動的に訪れるイベントがあります。

その人生の岐路で、必ず人は悩み、それまでの人生を振り返ったり。。。


ぼく自身が、こだわってきたこと、
そして今、他の人にもお勧めしていることは、


『昨日までの自分なら、絶対に選ばなかった道を、今日は、選びましょう』



しかし、ゲン担ぎなぼくは、日々の小さな事柄にさえ、
□ 靴下を、どちらの足から履くか?
□ どの指から爪を切るか?
□ 何を食べるか?
□ 通学・通勤で、どの道を通るか?
□ どの本を買うか(買わないか)

昨日までの自分では出来なかったことが、
今日できること
こそが、とても単純ですが、「成長」だと思います。


「昨日までの自分だったら、このまま寝てしまっていたな」

「昨日までの自分だったら、もーいーかってしてたな」

「昨日までの自分だったら、、、」


でも、「今日の自分は違う!」


それがたとえどんな小さなことでも、

毎日、ほんの小さなことでもいいから

積み重ねて行けたら。。。



と、ぼくは思うわけです。


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2011年2月23日水曜日

自分勝手な子どもにしないために

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

最近
「何かうまくいかないことがあると、他人のせいにする」人が多いなと
感じることが少なくありません。

でも、それが本当に「最近」だけのことなのか、
昔からずっとそうなのか、
むしろ最近は実は減少傾向にあるのか、すら、
本当のところ、ぼくにはわかっていません。

それどころか、
「この人自分勝手だな」、「他人や周囲のことをちっとも考えてないんだな」と思うのは、
あくまでぼくの主観であり、
それすらもが正しいとは言い切れません。


人間は本来的に自己中心的であるというか、
生命である以上、自己保全の本能が備わっているはずです。

その「本能」に抗ってというか、「本能」以外のものも使って、
何とかしていこうというのが、「知性」だと思います。

怒りにまかせて、「本能」をむき出しにして、他人を攻撃する、
それは「本能」に支配され、束縛され、流されているだけだと思います。


さて、残念ながら、子どもというのは、親のちょっとしたしぐさや言動から
学習する能力に、大人が思っている以上に優れていると思います。
そうでなければ、「言語」や「文化」を吸収し、使いこなすことは不可能だと思うからです。


親も人間である以上、完璧な人間であることは不可能です。
学校の先生も完璧ではありません。
もちろんもちろん、ぼくなんかとてもとても。。。

しかし、だからこそ、

『少しだけ自分を疑ってみる』

「疑う」ではありません、試みに「疑ってみる」

そういうことを生徒さん達にアドバイスしています。

それとともに、数学と、法律のことについては、
今やっている教科に関係なく、雑談として時々まぜるようにしています。
「Justice」なども良いネタです。


自分が当たり前だ、常識だ、
と思うことも、少しだけ疑ってみる、
見る角度を変えてみる

すると、そこに新しい世界が広がっている場合もある。


そういうことが、本当の「知性」であり、

塾で必死に叩きこまれた、「旅人算」とか、「つるかめ算」とかが、
賢いということとは、全く関係がないと、
ぼくは思います。

「あの塾に通ったから」合格できた、
「あっちの塾はダメだけど、こっちの塾は良いらしい」
そうではなくて、如何に自分を起点に発想し、
周りを活かして、自分をより活かす
という方法を、模索すべきではないかと思います。

そういう能力こそ、社会で求められ、また社会で活躍できるための能力であると思います。



【関連記事】

法学がつまらない???まさか!



いやー、わからないね、これ、どうしよう?

(FOI-File7) 大学入学前に、Justice!

 


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2011年2月22日火曜日

法学がつまらない???まさか!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


東大文科一類(法学部)の学生からしばしば、
「法学嫌い」と。

そんなバカな!
あんな面白い勉強ないんじゃないの?とぼく。

だって、法学って、数学+物理くらい面白いはずでしょ!
(。。。これを言うと、大抵引かれますが。。。)

すべてを定義から行い、論理体系を作り上げているところ。
そして、それが社会の実際と関係しているところ。
やはり、数学+物理だと思うんですよね。


現実には、先生があまり面白くないそうで、
それで多くの学生は興味を失ってしまっているそうです。

なんてもったいない!

実際には、そういうこともあるでしょうが、
大学生にもなったら、ましてや東大生であれば、
先生が面白いとか、面白くないとか、
そういう次元じゃないところで考えて欲しいなあ。



ぼく自身は、所謂「理系」として学校に通い、
法律には全く興味もなく、
「人間が決めたルール」ごときに大したものはないだろう、
単に煩雑なだけ!
っとずっと決めつけておりました。


それが、社会人を6年経験した後、
これからは、「インターネットの時代」ということで、
まさにその最先端にいたわけですが、

世の中が変わるならば、法律も変わらなければならないはず!
コンピュータ技術がわかって、法律もわかる人材が、
これからは必要とされるはず!

と思い立って、会社を辞めて法律の勉強をしました。
(2000年ごろです)


そして、初めて真剣に法学に触れたのですが、
その面白さには、まったく魅了されました。


すべてのものごとが、論理的に繋がっていて、
その出発点が、(学説は分かれるものの)しっかり定義されていること。

人類の叡智に感動したものです。


そういう風に、テストのためでなく、成績のためでなく、
生の法学に触れれば、きっと面白いはず!


っと、頼まれもしないのに、必死に説得しているのであります。
(まあ、説得してるわけでもなく、そういう見方もあるよと)




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2011年2月19日土曜日

いやー、わからないね、これ、どうしよう?

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

5歳から50歳まで、いろんな科目を教えていて、
実際には、『わからないこと』や『知らないこと』ってしばしばあります。


でもそこで、大事なのは、

『そういう時こそ、腕の見せ所!』

ってこと。

そもそも、こちらがすべてを知っていて、
生徒さんが何も知らないで、
一方的に、「教えてやるから、話しを聞け!」
みたいなことは、
フェアじゃない、
とぼくは思っています。(感覚として)

そんな風に教えてもらっても、子ども目線で考えれば、

『先生だから、いろいろ知ってて当たり前だよね。(私とは違う)』

となるだけで、
そのうち、自分がわかるかどうかというだけの基準をもって

『あの先生は、教えるのが下手だ』


そんな風に思考が回って行くのは、よくあるパターンだと思っています。



ぼくに言わせれば、

はっきり言ってしまえば、

先生がどうであろうが、今やらなければならないのは自分であり、
先生がどうだから、、、ということは、下手な言い訳に過ぎない。



だから、ぼくが大切だと思うことは、

★ わからない、ということを共有してあげること
(誰でも始めは、わからないし、できない、
ぼくなんか、いまだに、わからないことも、できないことも、たくさんある!)

<いばるな!(笑)>

★ 「わからない」 時に、どんな技を使って、「なんとかわかる」に変えているのか?
「できない」ものを、どんな技を使って、「なんとかできる」状態に変えているのか?
その技こそが、肝心だと。

□ 問題をしつこく読み返す

□ 辞書、教科書、参考書を調べる

□ 昔の単元まで戻って、既存知識の確認をする

□ 例題、類題をやってみて、具体例からの理解を試みる

□ 別の教科や単元でやったことを援用してみる

□ インターネットで調べる

などなど

そして、それぞれの技を、どのように使っているか?、
どんな順番で使っているか?
それはなぜか?


そんな「技」を、本当は盗んで欲しいのです。
(たまに教えてしまいますが、本当は盗んで欲しい)


結局は社会に出れば、

知らないことだらけ、わからないことだらけ、できないことだらけ

なわけです。


そんな時どうするの?

「誰も上手に教えてくれなかったからできませんでした」

って通用しない世界です。

いえ、現実には通用する人もあるかもしれませんが、
うちを卒業する子には、そんなぬるいところじゃなくて、
責任があり、社会から必要とされる人になって欲しいので。



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2011年2月12日土曜日

すべては、「贔屓」から始まる

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

学校(文部科学省なのか)や大手塾のやり方がどうかな~と
日々感じることが少なくありません。
その「違和感」のようなものがどこから生まれるのか。


そもそも、子どもたちに接する態度として、
「みんな平等」というのは、ありえないと、ぼくは思います。

『自分の子以外は、かわいいとは思わない』
これは、ぼくの妹が第一子を出産した後に言っていたこと。
(今はどう思ってるかしらないけど。。。)

極端ですが、でも、そうだと思います。
「この子をなんとか一人前にしなければ」
「この子には良い教育を与えたい」
「うちの子は、何か持ってるんじゃないか(親ばか含めて)」

そういう気持ちが、すべてのはじまりではないかと思うのです。

ぼく自身の過去を振り返ってみても、
勉強が楽しいなと感じたり、
いろんな物事に前向きに積極的に慣れたり、
結果いろいろ良い方向に向かったタイミングには、
必ず、「目を掛けてくれる」先生がいたり、友達(それもぼくにとっては師)がいたり。


それは、見方によれば、「贔屓」と映るかもしれません。

でも、当たり前でしょ。
1人の先生が、20人も30人も(ぼくのころは40人近く)
カリキュラムが厳密に決まっている中で、
1年かそこらでどんどん入れ替わってしまう生徒を
一人ひとりに完全に対応するなんて、不可能でしょう。

アメリカの大学が、授業をインターネットで無料完全公開しているのも、
突き詰めれば、
そこにはそんなに価値はない
ということの表れだと思います。

流れ作業みたいのは、
たしかに知識のインストールという意味では、効果はあると思います。
いくら段階別にしようが、レベル別にしようが、
所詮はインストール作業。
それをやる人は、「教育者」というよりは、「インストーラー」
「インストーラー」は、バカでも出来るし、儲かります。


本当にその子にとって為になるのは、
その子にとっての師の見つけ方を教えてあげることじゃないかなと。

その子にとっての師は、
現実に目の前にいる先生や、友達の中にも見出せるでしょうし、
書籍の中には、かなり大量に見出すことはできるでしょう。
また、自分の心の中にも見出すことができるかもしれません。

今だと、ネットの向こう側にもいるのかもしれませんね。


いわゆる偉人伝のようなものを読んでも、
どこどこの学校に行ったから、偉くなれた
みたいなものは、見たことがありません。

人が人として成長するには、
必ず人と人との出会いがあり、心の交流が(書籍を通したものも含めて)
あるものだというのが、ぼくの根底にはあります。

まあ、そう考えると、そしてそれをやろうとすると、
とても大変で、かつ正解のない、ゴールのない、いばらの道なのですが、
そして、そんな重要なで、面倒くさいことを実はぼくは好きではないのですが、、、

乗りかけた船といいますか、
やると決めた以上は、『完璧』を目指したいのが性分のようで。。。

この子には、今、これを勉強して欲しいな。
この勉強を通じて、こういう面に気づいて欲しいな。
そこに興味を持ったんだったら、ついでにこんな勉強もしたらいいな。
この子は、こういうところをもっと伸ばしてあげると良いな。
この子は、良いところを伸ばすためにも、最低限これだけは身につけて欲しいな。
。。。


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2011年2月11日金曜日

(FOI-File7) 大学入学前に、Justice!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

【以前の記事はこちら(あらすじなど)】

(FOI) 「正義」について(Michael Sandel 「Justice」)
(FOI-File1) 中学生と、Justice!
(FOI-File2) 中学生と、Justice!
(FOI-File3) 小学生と、Justice!
(FOI-File4) 高校生と、Justice!
(FOI-File5) 東大生と、Justice!
(FOI-File6) ぼくと、Justice!


大学入試もいよいよ佳境ですね。

みなさん、がんばってください。


一方では、推薦入学の方や、センター入試で志望校に合格した方は、
 すでに大学に向けての準備期間。

というか、実質特にすることもなく、、、というのが実際ではないでしょうか。
(友達はまだ受験でしょうから)

もったいない!


悲しいことに、ぼくも人のことは言えませんが、
今勉強に目覚めた人も、
日本の大学に進学すると、大抵はその意欲を失ってしまいます。。。
(それはなぜ。。。)

もったいない!

勉強が楽しいな、そう思っている今、


一緒に、Justiceを聞きながら、「頭を動かし続け」ませんか?

詳細は、青山プレップスクールまで。
school@yukasi.net
お問い合わせください。




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2011年2月8日火曜日

(FOI-File6) ぼくと、Justice!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

【以前の記事はこちら(あらすじなど)】

(FOI) 「正義」について(Michael Sandel 「Justice」)
(FOI-File1) 中学生と、Justice!
(FOI-File2) 中学生と、Justice!
(FOI-File3) 小学生と、Justice!
(FOI-File4) 高校生と、Justice!
(FOI-File5) 東大生と、Justice!


さてでは、ぼくの回答(解答じゃないですよ!)


★1-1: 直進して5人を轢くか、曲がって1人だけ犠牲になってもらうか?

ぼくならば、直進すると思います。
気取った言い方をすれば、「命の重さは、∞」
1人の命も無限大ならば、5人の命も無限大です。
どちらが大きいかは、ぼくには判断つきません。

いくら5人を救うためとはいえ、
本来サイド・トラックにいた時点で、
ぼくが何もしなければ、事故に会うはずもなく、
今回の事故とは無関係なはず。
その人を、「わざわざ」巻きこんで、殺してしまう必然性は
ぼくには考えにくいです。

一方、亡くなってしまう5人は、本当に気の毒だと思います。
しかし、だからと言って他の人の命を奪って、
その命の犠牲を払っても良いとは、ならないのではなかと。

別の見方をすれば、
助かった5人が、亡くなった1人の命の重さを一生背負っていき、
必要に応じては、その遺族に報いるようなことをするならば、
1人が5人を背負うよりも、負担が軽くて済むだろう、とも見ることはできます。

しかしこの場合、助かる人にも(そして助からない人にも)、
この事故に対する責任を負わせることは酷であり、
したがって、それはすべきでないと思います。

人は所詮は、いつか必ず死ぬわけですが、
その人の命を、誰か他人が判断して、「こいつは死んでも仕方ないだろう」と
処置することは、いかなる場合においても、
あってはならないと、(この授業で言う、categorically wrong だと)
ぼくは考えます。


★1-2: 隣の太った人を、押す?

したがって、押しません。


★2-1: 重篤な1人を救うか、比較的軽症の5人を救うか

これも、大変厳しい判断を要求されていますが、
ぼくであれば、
「重篤な一人を救う」
べきだと思います。

医療行為自体が、「他人の生命を扱う」難しい問題をはらんでいますが、
苦しがっている患者がいて、
自分がその人を救う力があるのであれば、
他にどんなことがあったにせよ、
その人を救うべきだと思います。

他の人を救うために、ある人には犠牲になってもらっても仕方ない。
そういう判断は、やはりすべきでないと。
医者であれば、
目の前の患者を、その重篤な緊急性の高い順だけを
基準として判断すべきではないか、
と、ぼくは考えます。


★2-2: 健康な1人を犠牲にする?

ということで、これは言うまでもなく。


★ 結論

こと、命に関する問題では、
『人為的』なことはなるべくすべきではない、
と、ぼくは考えます。

もちろん、最初のケースにおいて、
サイド・トラックに誰もいなければ、それは曲がるべきだと思います。
しかし、そうでなければ、曲がることは、人為的にその人を殺すことであると、
ぼくは考えます。

この考えは、完璧ではありません。

もっと極端な例を挙げれば、
もし自分の前に、大バカな為政者がいて、
彼が今まさに、核ミサイルのボタンを押そうとしている。
彼を殺す以外に、それを止める手立てがないとしても、
ぼくはやはりその人を殺さないでしょう。
(それ以外の、止める手立てを最後まで模索する)

結果としては、人類が滅びることになるかもしれない。
多くの人が犠牲になるでしょう。
であるとしても、誰かが誰かを殺して良い、
ということを、認めるべきではないというのが、
そして、それ以外の方法で最善を尽くす(と言っても言葉が軽いですが)、
べきである、というのが、
ぼくの考えです。



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2011年2月7日月曜日

(FOI-File5) 東大生と、Justice!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

【以前の記事はこちら(あらすじなど)】

(FOI) 「正義」について(Michael Sandel 「Justice」)
(FOI-File1) 中学生と、Justice!
(FOI-File2) 中学生と、Justice!
(FOI-File3) 小学生と、Justice!
(FOI-File4) 高校生と、Justice!


さて、今度は東大生とやってみました。
さすが、東大生!と思える点が、随所に。


★1-1: 直進して5人を轢くか、曲がって1人だけ犠牲になってもらうか?

Yさん:「私は、曲がります」
Sさん:「うーん、どうしようかな~、どうするかな~、曲がるってことは、その1人を殺しにいくのと同じですよね、うーん、うーん」
↑ 今まで聞いた中で、最初の質問で一番悩んでいました。
理系の学生ですが、よく状況を整理して、かつ表面上の合理性だけでない
何かを感じようとしている、自分の頭でちゃんと考えよう、
そんな姿勢が強く表れました。


ぼく: 「何故?」

Yさん:「うーん、はっきり言ってしまえば、『数』です」
↑ おおお、なんとシンプルかつ、こちらの意図(本質)を捉えた回答。
さすがです。


★1-2: 隣の太った人を、押す?

Yさん:「それは、さすがに私でも。。。(笑)」
Sさん:「押せませんね」

ぼく: 「なんで?さっきは、5人救うためなら、1人の犠牲は仕方ないって言ったじゃない!」

Yさん:「それはさすがに殺人じゃないですか~」

ぼく: 「罪だから、罰せられるから、ダメなの?5人を実質的に救うんだよ」

Yさん:「さっきの場合は、5人殺してしまうのも、ある意味自分が手を下すということだったけど、
このケースでは、5人死ぬ時には、自分は部外者でいられるから」

ぼく: 「Yさんが、部外者でいられるなら、何人死んでも、それは『正しい』ことなの?」

Yさん:「人はいつか死ぬものであり、究極的にはそういうことになります」
↑ 開き直った素晴らしい回答。


★2-1: 重篤な1人を救うか、比較的軽症の5人を救うか

Mさん途中参加。

Sさん:「5人を助けるでしょうね~」
Mさん:「私もやはり」
Yさん:「これって、さっきの最初のケースと同じですよね」
↑さすが、「結局何が問題になっているか」に対する意識が、明確ですね。


ぼく: 「何故?」

Yさん:「やはり『数』です」


★2-2: 健康な1人を犠牲にする?

Mさん:「井上さんだったら、どうしますか?」
↑出ました、逆質問。
Yさん:「結局は、『最大多数の最大幸福』ってことですかね」
↑先に言われてしまった。。。


★ 結論

とまあ、全然書ききれていませんが、なかなか盛り上がりました。
さすが、東大生。
さすが、その中でも上澄み。
と思わせられることがしばしば。

彼ら、彼女らは、本当に「エリート」として育っていく、
素養を十分に備えているなと。

だからこそ、たんにアルバイトとしてやってもらうだけでなく、
いろんな経験を積んでもらって、
それから社会に出て欲しいなと思います。



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2011年2月5日土曜日

(FOI-File4) 高校生と、Justice!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

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(FOI) 「正義」について(Michael Sandel 「Justice」)
(FOI-File1) 中学生と、Justice!
(FOI-File2) 中学生と、Justice!
(FOI-File3) 小学生と、Justice!


さて、今度は高校生とやってみました。

★1-1: 直進して5人を轢くか、曲がって1人だけ犠牲になってもらうか?

Yさん:「そりゃあ、しょうがないけど、曲がります」
T君: 「1人の方に行きます」
Rさん:「うーん、仕方ないですね~、曲がります」

ぼく: 「何故?」

Yさん:「5人殺すなら、曲がるしかない」
T君: 「5人死ぬより、1人死ぬ方が、被害が小さいから」
Rさん:「犠牲になる人が少ない方が良いから」

ぼく: 「人数の問題ってこと?」

Yさん:「はい」
T君: 「うーん、はい」
Rさん:「はい」


★1-2: 隣の太った人を、押す?

Yさん:「押すんですか?押さないです」
T君: 「さっきの法則からすると、押すんですかね~」
Rさん:「押せってことですか!えー、押しません、ってか多分、押せません」

ぼく: 「なんで?さっきは、5人救うためなら、1人の犠牲は仕方ないって言ったじゃない!」

Yさん:「だって、それって殺人ですよね」
T君: 「全然関係ない人を、殺してしまうのは良くない」
Rさん:「だってー、ダメに決まってるじゃないですか~、怖いじゃないですか~」


★2-1: 重篤な1人を救うか、比較的軽症の5人を救うか

Yさん:「5人を助けます」
T君: 「5人の方を救います」
Rさん:「その1人はかわいそうだけど。。。」

ぼく: 「何故?」

Yさん:「5人助かったの方が、喜ぶ人が多いから」
T君: 「やっぱり、犠牲は少ない方が良いから」
Rさん:「5人も死んじゃったら、大変じゃないですか~」


★2-2: 健康な1人を犠牲にする?

Yさん:「(笑)そんなのひどいじゃないですか~」
T君: 「やっぱり、その人は関係ないから、関係ない人を殺すのはよくない」
Rさん:「しません。無理です」

ぼく: 「何故?」

Yさん:「いや~、無理ですよ~(笑)」
T君: 「いくら結果として5人助かったとしても、関係ない人を殺すのは良くないから」
Rさん:「当たり前じゃないですか~」


★ 結局ね

ぼく: 「これは、何か意地悪なクイズを出して、性格判断しようっていうわけじゃないのね。
自分が、『何となくこう思おう、感じる』と思うことにも、
必ずその【根拠】があって、【価値観】があって、【正義】がある。
そのことを、考えるための練習であって、
そして、これから大人になって行くにあたって、
【自分は何を信じるか】、【他人が信じるものを、自分も想像できるか】
そんなことが、とても大切になってくるのね。

今、自分が当たり前と思っていることでも、
もう一度自分の頭で、0から、つまり原理原則から
考え直してみることは、とても大切だよ。


★ 結論

高校生になると、かなり論理はしっかりしてきますね。

しかし、だからこそなのでしょうが、
自分が考えることが、当たり前、普通、常識、
と捉えてしまい、それ以上考える意欲が弱まっていると感じました。


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(FOI-File3) 小学生と、Justice!

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(FOI-File1) 中学生と、Justice!
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さて、今度は小学生と実際にやってみました。

★1-1: 直進して5人を轢くか、曲がって1人だけ犠牲になってもらうか?

R君: 「横道の方に行きます」
T君: 「1人の方に行きます」

ぼく: 「何故?」

R君: 「5人殺すなら、1人殺すのは仕方ないから」
T君: 「大勢の人を殺すのはよくないから」

ぼく: 「ハーバードの学生とあんまり変わらないね!」


★1-2: 隣の太った人を、押す?

R君: 「押さない、押さない」
T君: 「押しません」

ぼく: 「なんで?さっきは、5人救うためなら、1人の犠牲は仕方ないって言ったじゃない!」

R君: 「でも、押したら人殺しですよ」

ぼく: 「そうかもしれないけど、5人助かるんだよ」

R君: 「うーん、じゃあ僕が代わりに落ちます」

ぼく: 「ええ!死んじゃっても良いの?たまたま見てただけだよ」

R君: 「でも、誰かを殺すくらないら、自分が死んだ方がまし」


★2-1: 重篤な1人を救うか、比較的軽症の5人を救うか

T君: 「5人を助けます」
R君: 「5人を助けます」

ぼく: 「何故?」

T君: 「助かるかもしれない5人を殺すのは良くない」
R君: 「5人助かるなら、仕方ない」

ぼく: 「重篤な1人は、どう見ても辛そうで、うめいていて、、、見捨てるの?」

T君: 「5人助けるためだったら、仕方ないと思います」
R君: 「かわいそうだけど、仕方ないと思います」


★2-2: 健康な1人を犠牲にする?

R君: 「するわけない(笑)」
T君: 「しない」

ぼく: 「何故?」

R君: 「だって、その人は全然関係ない」
T君: 「人殺しになっちゃう」

ぼく: 「だって5人救えるんだよ」

R君: 「でもダメ」
T君: 「でもダメ」


★ 結局ね

ぼく: 「これは、何か意地悪なクイズを出して、性格判断しようっていうわけじゃないのね。
自分が、『何となくこう思おう、感じる』と思うことにも、
必ずその【根拠】があって、【価値観】があって、【正義】がある。
そのことを、考えるための練習であって、
そして、これから大人になって行くにあたって、
【自分は何を信じるか】、【他人が信じるものを、自分も想像できるか】
そんなことが、とても大切になってくるのね。
ものごとをよく考えるってのは、こんな風にいろんな場面を想像して、
「自分の考えは正しいのかな?」って確かめることなんだね。


★ 結論

やはり、「自分が死んでも良い」といった発言は出色ですね。

小学生は純粋というか、
あえて逆の見方をすれば、命に対する現実感が乏しいとも言えるのか。。。

ただ、中学生と比較してみて、
中学生にあると、ある程度現実的に考えられる分、「常識」、「当たり前」が強く、
それ以上に考える力が弱っているように感じました。

だから、やるなら小学生のうちから真剣に考え、議論する練習をしておいた方が
良いのかなあ~。



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(FOI-File2) 中学生と、Justice!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

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(FOI) 「正義」について(Michael Sandel 「Justice」)
(FOI-File1) 中学生と、Justice!


さて、実際にやってみてどうだったか?

★1-1: 直進して5人を轢くか、曲がって1人だけ犠牲になってもらうか?

Y君: 「うーん、でも曲がります」
B君: 「うー、曲がります」

ぼく: 「何故?」

B君: 「5人を殺しちゃうなら、仕方がないかな~」
Y君: 「5人殺しちゃまずいから」

ぼく: 「ハーバードの学生とあんまり変わらないね!」


★1-2: 隣の太った人を、押す?

Y君: 「うーん、押します」
B君: 「うーん、押すかな~、でもやっぱり押せません」

ぼく: 「なんで?押すといったY君は、さっきと同じ理由かな?
押さないといったB君は、さっきと話しが違うんじゃない?」

Y君: 「そうです。5人殺しちゃうくらいなら、、、あ~でも~、、、
やっぱり押せません。殺人になっちゃいますよね」

ぼく: 「そうかもしれないね。でも、5人助かるんだよ」

Y君: 「うーん、それでもやっぱり、自分の手で押すってのは~」

B君: 「僕もそれは殺人になっちゃうからダメだと思う」

ぼく: 「5人の命を救えるとしても?」

Y君: 「でもその5人は、僕が殺すわけじゃないから」

ぼく: 「じゃあ、自分がやるんじゃなければ、何人死んでもいいってこと?」

Y君: 「そうかもしれません」


★2-1: 重篤な1人を救うか、比較的軽症の5人を救うか

B君: 「5人を助けます」Y君: 「5人を助けます」

ぼく: 「何故?」

B君: 「その1人は、どうせかなり死んでしまっているから、5人救った方が良い」
Y君: 「医者としては、より多くの命を救うべき」

ぼく: 「重篤な1人は、どう見ても辛そうで、うめいていて、、、見捨てるの?」

Y君: 「仕方ないと思います」
B君: 「できるだけ見ないようにして」


★2-2: 健康な1人を犠牲にする?

B君: 「それはしない」 Y君: 「それは無理」


ぼく: 「何故?」

B君: 「その人は、関係ないから」
Y君: 「だって普通そうでしょう」

ぼく: 「だって5人救えるんだよ」

Y君: 「それでもダメ」
B君: 「それでもしない」


★ 結局ね

ぼく: 「これは、何か意地悪なクイズを出して、性格判断しようっていうわけじゃないのね。
自分が、『何となくこう思おう、感じる』と思うことにも、
必ずその【根拠】があって、【価値観】があって、【正義】がある。
そのことを、考えるための練習であって、
そして、これから大人になって行くにあたって、
【自分は何を信じるか】、【他人が信じるものを、自分も想像できるか】
そんなことが、とても大切になってくるのね。
国語とか、社会とか、そういう授業は、
本当は、こういうことを考えるための時間であり、
こういうことを考えるための材料を探しているんだよ」


★ 結論

ぼくの誘導がいまいちだったのか、たまたまか、そういう傾向があるのか、
少し「ゲームっぽく」、「クイズっぽく」捉えてしまったかな?

1-2の質問で、始めは2人とも「押す」と答えたのが、特徴的でした。




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2011年2月1日火曜日

(FOI-File1) 中学生と、Justice!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

Free, Open and Interactive learning platform の授業です。

先日は、中学生と、
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の「Justice」(正義について)を視聴し、
一緒に考えてみました。


とはいえ、特に帰国子女でもない中学生にとっては、
英語は速すぎるし、出てくる単語、そもそも日本語でも難しい概念が出てきたりもします。

でも、FOIでは、そういうのは、気にしない。
わからなくてもいいから、『本物に触れること!』

とにかく、見てみる、聞いてみる、
もちろん必要な個所はぼくがフォローして解説しますが、
自分なりにくらいついてみることが大切!
(これも一つの、知的冒険です!)


さて、一応ハーバード大学の説明とか、東大でも授業やったことあるよとか、
そして、「正義とは何だろう?って考える授業ね」くらいの軽い説明で、
すぐに視聴を始めました。
http://www.justiceharvard.org/index.php?option=com_content&view=category&layout=blog&id=9&Itemid=5

エピソード1の前半の、さらに前半です。

お話しは、もう有名だと思いますが、一応あらすじだけ。

Case1-1:
あなたは、電車の運転手です。電車は、時速100kmで走っています。
今、ブレーキが故障してしまいました。
前方には、5人の作業員が、線路で作業をしていて、こちらの気配に気づきません。
このまま行けば、確実にその5人を引いてしまい、そうなれば確実に5人は死ぬでしょう。

ところが、1つ副線があることに気がつきました。
そちらに曲がれば、5人を引くことはありませんが、
そちらにも1人作業員はおり、その1人は確実に死んでしまいます。

さて、あなたはそのまま本線を進みますか?
それとも副線へ逃れますか?

Case1-2:
状況はほぼ同じですが、今度はあなたは電車を運転していません。
線路の上を渡っている、橋の上からこの状況を見ています。
ブレーキが壊れていること、このまま行けば5人死ぬことを、あなたは確信しています。

ところで、あなたの隣には、ものすごく太った巨人が、
ぼーっと橋から下の覗いています。

もし今、あなたが彼を、ドンと押したら、
彼は橋から、線路の上に落ちます。
彼はあまりに巨大なので、彼は引かれて死んでしまうでしょうが、
そこでトロッコは止まります。(ということにしてください)

さて、あなたは、彼を押しますか?
押しませんか?

Case2-1:
今度は、あなたは医者です。
あなたの前には、6人の救急患者がいます。
中でも1人は特に重症で、
あなたがかかりきりになって1日対応しないと、彼は死んでしまうでしょう。
しかし、もしあなたが彼にかかりきりになってしまうと、
残りの5人は、手遅れになってしまいます。

一方、始めから5人を助けに行けば、その5人は助かることができます。
しかし、最も重篤な、今も最ももだえ苦しんでいる患者は、死んでしまいます。

さて、あなたは、重篤な1人を救いますか?
それとも、残りの5人を救いますか?

Case2-2:
最後もお医者さんの話しです。

あなたの前に、臓器移植を待っている5人の患者がいます。
それぞれ、必要としている臓器は異なります。
いずれも、もう猶予がない状況ですが、ドナーは見つかりません。
このまま行けば、5人は死んでしまいます。

ところで、隣の部屋に、
「たまたま健康診断に来た」人が、ぼーっとしています。
暇すぎて、昼寝まで始めてしまいました。

今、あなたがそっと隣の部屋に行って、
彼から臓器を奪ってくれば(つまり彼は死んでしまいますが)
5人の命は助かります。

さて、あなたは、隣の人の命を奪って5人の命を救いますか?
それとも、5人を見殺しにしますか?


この日はここまで。

授業の様子や、生徒さんの考え・意見などは、また追ってまとめたいです。

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とても印象的だったのは、
中学生の彼が、のめり込むように聞こうとしていたこと。
これまで彼がこんなに英語を聞こうとしたことがあったでしょうか。
慣れている人にすれば、十分ゆっくりではありますが、
中学生にとっては、とても速く聞こえたはずです。
知らない単語だらけだったはずです。

それでも、彼は、のめり込むように聞いていました。


そして、「理由」を考える時の真剣さは、普段の勉強以上。
せっかくなので、しっかり考えてもらいました。

結論ではなく、「理由」とか「原則」が大切な授業ですので。

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ちなみに、ぼくならばこのように回答します。

Case1-1: 本線を進みます
Case1-2: 突き落としません
Case2-1: 重篤な1人を救います
Case2-2: 5人を見殺しにします


1つの「原則」から派生した結果が、これです。

ぼくの「原則」はなんでしょう?




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かわいい子には、○○をさせよ

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

さて、かわいい子には、一体何をさせましょうか?

旅?     そうですね。

苦労?      そうですね。
「若いうちの苦労は、、、」なんてことも言います。

失敗?   そうですね。
所詮人間は、痛い目に合わないと学べない  と、ぼくは思っています。

勉強?   広い意味ではそうですね。
運動?   何事も体が資本ですよね。
芸能?   若い感性を、競争にさらす
読書?   時空を超えた疑似体験

いろいろあると思いますが、
1つにしろと、言われたら、ぼくならば、、、


『冒険』


かなあ、、、(なんだ、「旅」と同じじゃないか)
一周回って戻ってきた感じですが、
今の子どもたちにとって、
「たび」では、軽すぎるかな。

そして、今の子どもたちにとって、
『冒険』とは何なのでしょう。

先の見えない恐怖と、
それと背中合わせの、ワクワクドキドキ感。

カブトムシを捕まえに、一人で山奥に行ってみたり、
魚釣りに川を上り下りしたり、
自分は一体、どのくらいまで速い球が投げられるんだろう、というのも1つの冒険でしたし、
さまざまな図鑑を見て、想像を膨らませていた時も、1つの冒険でした。
無謀という意味では、大学受験も冒険でしたし、
大学生活は、さまざまな無謀への挑戦だったのかもしれません。(良く言えば)
仕事は完全に冒険でしたし、
今でも常に未知なるものへ挑戦しているつもりではあります。


今の子どもたちにとっては、
渋谷に行くのが、1つの冒険なのでしょうか。(そういう面もあるんでしょうね)
ゲームにのめり込むのも、1つの冒険なのでしょうね。
クラブ活動がんばるのも、未知なる自分の可能性への挑戦と言えるでしょう。

同じことを、書物の中に、勉強の中に、
インターネットもうまく使って、
本当はもっといろんなことができるんじゃないの?


ゆとりなんて、論外ですが、
管理管理、競争競争、点数を如何に取るか、、、って、、、


いずれは自立していく子どもたちです。
自立するようになれば、甘いことはいっさい許されません。
(いっさいかどうかは、本当は何とも言えませんが)

だからこそ、ぼくの目が黒いうちはといいますか、、、
思いっきり派手に失敗してくれていいと思うのです。
限界まで挑戦して、限界を強引に押し広げて、
そんな姿が見られれば、
少し心が軽くなります。



わんぱくでも良い、
たくましく育って欲しい
って、ハムのCMがありましたね。

古っ


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東京の大学で英語でディベートしてそうな部 潜入調査計画

  今回我々は独自の調査により、駒場の杜に潜むという同胞の棲息を示す確たる証拠を得た。更なる調査を進めるために、特別潜入チームを組織する。数々の難関基準に合格し、最後は適当にクジで選ばれた3名の隊員に、今回の任務を依頼する。 ミッションコード: ZZZ02(寝るな!) ...