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11月, 2010の投稿を表示しています

未確認綱渡り物体?

深夜2時頃、

ちょっと考え事をしていて家の近所を散歩していました。



空には、オリオン座が少し西に傾きながら輝き、

もう冬だなと。



その視界を黒い物体が横切りました?

鳥?

でも、ゆっくりです。



よく見ると、電線を何かが渡っていました。



スリムな体で、体調50cmほど。

長い尻尾が特徴です。



リスにしては、長すぎるし、リスはもうちょっとおデブかな?

イタチみたいですが、木に登ったり電線を伝ったりするかどうか、、、

そもそも東京の住宅街にいるのか?



ぼくが見たことある動物では、フェレットに近いかなと思いました。



じっと見ていると、向こうも気がついて、

木の茂みに隠れていきました。



「あいつを捕獲するには、どうしたらいいだろう?」



いつの間にか、違うことを考え始めたので、寝ることにしました。



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『カン』を養う

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



ぼくだけでなく、多くの人が感じていることだと思いますが、

最近の子は、「カン」が悪いなあと。

(最近の~は、なんて、、、言いたくないことですが)



何かというと、『応用が出来ない』ということです。



体験学習」的なものも、最近はたくさんありますが、

どうも、ぼくにはピンときません。



※ 教えてもらわないと、できない

※ 誰かが完璧に準備した環境の中でしか、できない

※ 困ったら、必ず誰かが助けてくれる



せっかくの「体験」が、そんなことで価値を半減させてしまってはいないのだろうか?





教えてもらったことと、

それまでの自分の、知識経験を組み合わせて、

あーだこーだといろいろ考える。

考えたことを実際にやってみて、

やりながら、「なるほど、なるほど」と。

でも、欲しい材料がない場合もあるけど、それは手近なもので代用したり。

そして、うまくいかないこともたくさんあって、

だから、「今度やる時は、、、」とアイディアも湧いてきて。。。





そういうものではないですか?



そういう時には、「理科」とか「国語」とか関係なく、

合力、応用力で勝負しているわけで、

そういう経験が足りてないんじゃないかな?



っと、それは大学生を見ていても、小中高生を見ていても、

つい、感じてしまうことです。

それが本当に『自由』ですか?

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


さて、『自由』

『自由』とは、いったいなんでしょう?



□ 眠いから寝る、食べたいから食べる

□ 時間があるからダラダラする

□ 流行の服を着る

□ お金欲しいから、割のいいバイトをする

□ 好きなことだけする



結論から言うと、これらはぼくは全然『自由』だとは思いません。

※ 肉体的欲求、生命維持活動に、束縛されているだけ

※ 流行や世間の目に、束縛されているだけ

※ お金に、束縛されているだけ

※ 自分の気分、感情、快・不快に、束縛されているだけ



いえ、そういうものをすべて排除した方が良いと言っているわけではありません。

そういうことがあるのが、現実だと思っていますし、

それは受け入れるべきだと思います。



でも、それは決して『自由』ではない、

ということは、思っておいた方が良いのではないかと。





『拘束・束縛がない状態』という受動的な意味ではなく、

『自分の才能を発揮する』という能動的な意味で

ぼくの大好きな『自由』という言葉を使ってもらえないかなあと、

ときどき思います。



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そこに『問題』がある限り

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



青山プレップスクールでは、生徒さんに

「困ったものがあったら、何でも持ってきて!」と

言っていますし、ぼくが担当する場合はもちろん、

大学生が担当する場合でも、何を持ってこられても、

『何らか解決の方向を示すように!』と言っています。



なぜか?



未来の『学び方』は、

こちらが知っていることを教えることを教えます

というスタイルから、変わってくると思います。

□ その場で問題を共有する

□ その場で真剣に考える

□ それを持ち帰ってまた考える

そういうことの繰り返しが、『学ぶ』ということではないかと。



『学びて時に之を習ふ。 亦説ばしからずや』

『学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし』



わからないことを共有でき、それを獲得できる瞬間に立ち会えることは

ぼくとしてもとてもうれしいことですし、

ぼく自身は、前職からそういうことが好きなんでしょうね。





何か困っていると聞けば、それが英語や数学だけでなく、

理科だろうが、社会だろうが、音楽だろうが、技術家庭だろうが、

就職に関することでも、もっと人生に関することでも、

技術的なことでも、個人の心情的なことでも、

なんでも、

そこに問題がある限り、ぼくはそれに真摯に向き合いたいと思っています。





先日は、大学生からこんな『問題』をいただきました。

「もし、東京がゾンビ占拠されたらどうしたら良いですか?」

大変な事態です。

その場+一晩、真剣に考えて、ぼくなりの『回答』をさしあげました。

(『解答』ではありません)





ところで、

「私は、数学は教えられるけど、英語は。。。」

などとおっしゃる方がいらっしゃいますし、

お母さまの中でも、「数学は無理。。。」と思っていらっしゃる方が

いらっしゃるかもしれません。



でもぼくは、

※ 問題を共有する

※ 学ぶ過程を共有する

むしろチャンスなんじゃないかと思っています。

(もちろん、現実的には時間的制約などたくさんありますが)

ハーバード大学: バイオ・ビジョン

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



アメリカを中心に

大学がどんどんコンテンツを、インターネット上に無料で公開していますね。



『学び方』というものは、100年後と言わず、20年後でさえ、

今とは全く異なるものになっているでしょうね。

(ぼくも、その一端を担っているつもりで、日々頑張っています)





今日ご紹介するのは、

ハーバード大学の、『バイオビジョン』
http://multimedia.mcb.harvard.edu/



見てるだけで、不思議な気持ちになりますね。



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1,1,2,3 フィボナッチの日

勤労感謝の日です。

今日も、たくさん働いています!

1,1,2,3は、フィボナッチの日でもありますね。

新しい塾の方向性(って、実はそんなに変わりませんが、より鮮明に)を
打ち出してしまおうかなと思っています。

『賢い子』、『勘のいい子』を輩出したい、というのが、
変わらぬぼくの願いです。

駒場祭に行ってきました

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



昨日のお昼、授業前に、

駒場祭に行ってきました。



□ 受験生に、様子を教えてあげるため

□ 先生たちの普段の表情を見るため



もちろん、目的は達したわけですが。。。



しかし、もうちょっと何とかならないものかなあと、感じざるを得ませんでした。



焼きそば屋がたくさんあって、

呼び込みの人が着ぐるみ着てたり、

舞台では、バンドサークルが演奏し、



背景などを隠したら、どこの大学も一緒なんじゃないの?





普通の大学生がやるようなことを、普通にやってみたい』





それが、彼ら東大生の思考なのでしょうか。。。





『ありえないことをやってみたい』

『伝説的なことをやってみたい』

『今までだれもやったことがないことをやりたい』





そういうことをやって欲しいなあと。





もしぼくが、東京大学の学長になったら(なりませんが)

必修科目として、単位を与えることにして、

『圧倒的なこと』をやるように、

そしてそういうものを高く評価するような



そういう風にするけどなあ。



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強制的に、自分を集中させる

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

2010年11月12日から、
小さなプロジェクトが始まっています。

「強制的に、自分を集中させる」アプリの開発です。

現在、試作&テスト段階ですが、
まずまずの好感触。

もう少し出来てきたら、
もう少したくさんの人にテストしてもらいたいと思っています。

いつか来た道?

軍が政府を超えて「自分たちの判断」で行動し、
民衆はそれを喝采し、
メディアはその喝采を煽る

これって、いつか来た道ではないのだろうか?

だからといって、政府の対応が良いわけでもなく。。。

根回し、外交カード。。。そういうの、好きだけど下手なんじゃない?
公の場で堂々と主張すること。。。好きじゃないし、うまくもないけど、
それでも誠心誠意ことにあたること、の方が、日本人にはあってるんじゃないのかな。


少なくともそういう人たちに、
うちの卒業生はなって欲しいと思っています。

歴史は、最先端でできている

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



歴史の勉強は、古臭いことを学ぶこと?



とんでもありません!!!!



歴史の勉強とは、『常に最新のもの』を学び続けることです。




聖武天皇にせよ、清少納言にせよ、

平清盛源頼朝世阿弥織田信長坂本竜馬大久保利通

近衛文麿田中角栄、、、、





歴史上に名が残っている人は、

それまでにない新しいことをしたり、新しい作品を作ったり、

新しい政治を始めたり、新しい考え方を世に広めた人たちです。





旧来通りのことをしていては、「歴史的イベント」にはならないのです。





彼らがどんな時代に育ち、どんな考えにいたり、

思いを持って、『新しいこと』を実行したのか。





それを学ぶことは、

これから『新しいこと』をしていく若い人たちに、

必ずやヒントを与えてくれると思います。





そういう『新しいこと』として、

歴史は伝えていきたいと思っています。



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GMAT MATHの一番難しいところ

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



MBA取得のための、アメリカ大学院留学のため、

GMAT受験対策として、数学を教えています。



数学そのものからは、10年離れている、、、

校時代に数学は捨ててしまって、、、



という方が多いですが、みなさん社会人でお忙しいので、

できるだけ短期間にピンポイントでサポートするよう努めています。





もちろん、お仕事の中で、

□ 情報を整理したり

□ Excelなどで表にまとめたり

□ 複雑な計算をしたり

ということは普段されているのですが、

数学(MATH)になると勝手が違うのでしょうか。。。





アドバイス差し上げている内容の多くは、

A: わからない問題の解説

B: ミスから見る、計算上のテクニックなど

C: ミスから見る、ミスの出にくいメモの取り方など

D: 問題に対する最適なアプローチについて

E: 数は概念、公式のイメージ

など。





このうち

Aは、もちろん標準的な数学の解説になる場合が多いです。



B, Cは、まあ、技術的な問題なので。



Dは、別解などを示したうえで、柔軟にかつ最適にアプローチできるためのアドバイス

その問題だけできればいいわけではないので、

類似問題、応用問題にも対応できるようにするために、

問題に「素直に」アプローチする

それがなかなか難しいんですね。



そして、Eが一番厄介なところではあるのですが、

※ 数とは

※ 数の大小とは

※ 平均とは

※ 整数とは

※ 倍数やあまり

こういうことが、「イメージ」として頭に入っているか、そうでないか。。。



ここが実はとても大きいんですね。





「単なる暗記」、「パターンマッチ」でしかやって来なかった人には

どうしてもこの「イメージ」がないため、

結局はそこで苦労してしまっているように感じます。



でもそれが一番大事だと思いますし、

学校の試験をクリアして来ても、結局その辺りを

記憶と根性だけでやってしまうというのは、

何とも持ったいない話しだなあと、

感じずにはいられません。

英語だけは違うんじゃないかなあ

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



中高生にとって、大学生って、ある意味ゴールの姿ですよね。

自由な自分の時間があって、

自分の好きな勉強ができて、

それ以外にもなんだかいろいろ楽しそう。



うちは、ぼく以外はみんな東大生が先生ですので、

ある意味わかりやすいゴールの形が目の前にあるのかなと思います。



どんな教科のことを聞いても、自信を持ってさらっと教えてくれますし、

「あー、これ難しいよね~」と、生徒目線で話してくれますし。





ただし、英語に関してだけは、やはりちょっと違うと思うんですね。

東大に入るための英語力と、実社会で役に立つための英語。。。



ぼくが、アメリカで少し仕事をしていた時の実感としては、

もちろんその場にいるわけですから、会話は大切です。

しかし結局、仕事では「書き残す」ことが必要だったため、

読み書きがとても大切だと感じました。



会話は、何とか自分の意図を伝えて、また相手の意図を掴むために、

あらゆる手段(何度も言い直したり、実際に何か見せたり)を使うことになりますが、

メールなどの書きものになると、「簡潔に」、「的確な」、「適切な」表現が必要になります。

そうすると、単語一つの選び方でも相当迷ってしまいます。

違いな表現をして恥ずかしい思いをしたことも多々。。。





単語帳で単語を覚えたり、

細かな文法を覚えたり、

よりも、もう少し「場面別」に、こういう時は、こういう表現が適切。

同じ内容だけど、

□ 子ども向けなら、こんな言い方になるし

□ 改まった場であれば、こんな言い方になるし

そんな風に英語が学べたら、役に立つだけではなく、

純粋に楽しいと思うのです。





メール1つで、仕事がもらえるか/もらえないか、

プロジェクトメンバーとの意志齟齬を修復できるか/悪化させるか

そういう場面で、言葉を選べるか選べないか、

そこがとりあえずのゴールじゃないかなと、ぼくは思います。

発音とかよりも)




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「反省」したって、意味ないのでは?

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



「反省しなさい!」


と言われて、人間本当の意味で反省することはあるでしょうか。




ぼく自身の経験を振り返ると、

もちろんそのときはそれらしく振舞ったとして、

それが本当の意味で「反省」となったかは、

正直怪しいところではあります。。。

お父さんお母さん、先生、先輩、妻。。。ごめんなさい)




「反省会」が終われば、もう無かったもののようになってしまう可能性が高い。

「反省」って結局、反省のための反省に陥りやすく、

喉元過ぎれば。。。に非常になりやすいのではないかと思います。







じゃあ、どうすればよいのか?







ぼくは、「反省」ではなく、「反芻」だと思うのです。

1つの経験を、何度も何度も、頭の中で繰り返し再生するのです。

もし可能であれば、友達なども含めて。



そして、1つの経験から、学べたはずのことを

自分でどんどん引き出すことができるように。



そうなると、

そこで「気づいた」ことは、その後の自分を変える力を持っている。

そんな風に思います。





だから、ぼくはあまり「反省」という言葉は好きではない。

そこで断ち切ってしまうのではなく、何度も何度も「反芻」することが

大切なんじゃないかな、と思っています。



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『ダメ人間』なぼく

20年後の未来をつくる、青山プレップスクールです。



先日、新卒で入社した会社の同期の集まりがありまして、

授業後の23時ごろから参戦したわけです。

当時から既に、15年余りが経過しているのですが、

立場は違え、会社も違えども、同期は同期で良いものです。



しかし、まあ、当然当時のことをいろいろと思いだすもので、

端的に言えば、『相当なダメ人間だなあ』と自分自身のことを振り返って。



とにかく、その場しのぎというか、いい加減で、

腰を据えて、腹を決めて、物事に取り組むということが

なんとできていないことか。

そこには、同期同士の何となくの「甘え」もあったと思います。

学校の延長のように感じていたのも事実です。



それから15年ほどが経って、

大変なのも含めてたくさんの仕事を通じて、

何よりぼくの場合は、「甘え」の源泉になるような環境を離れ

早めに転職したのは、本当に自分自身良かったなと思います。



自分自身の情けなさ、頼りなさ、いい加減さ、、、

などなど思いだしているうちに、帰りの電車の中で

『気絶!』してしまいました。

(人生初です)



気が付いたら電車の床にたおれていて 、

また人に迷惑を掛けてしまったなと。。。



テストがちょっとばかし、できるとかできないとか、

ちょっと思いつきだったり、たまたま何かうまくいくとか、

そんなことではない、もっと根本的に大切なこと。



自分自身の言動に責任を持つ、

長い時間を掛けて信頼関係を気付いていく



それは、「いわゆる勉強」だけではやはり難しく、

ぼく自身は、『仕事』を通じて少しずつ身につけて行ったように思います。