フェアプレーの精神

どうして、勉強は面白くないのでしょう?

(いえ、面白くて仕方がない人は良いのですが、
 多くの中高生にとっては、せいぜいが「必要悪」なのではないでしょうか)


以下、ぼくの考え。


子どもたちは、大人が思っている以上に、

「愛」とか、「友情」とか、「潔さ」とか、「助け合い」とか、「フェアプレー」の精神にあふれている

子どもの好きなものって、そうではないでしょうか?


それに対して、勉強って、(現状、学校を中心に行われている勉強って)

そういう性質を、まったく垣間見せない。

(本当はそんなことないのにね。

 また、一部の進学校(ぼくの通った高校も)では、うまくそういう雰囲気作りをしていると思います)


だけど、大抵の場合は、

  ”過度の結果主義”  (結果さえ良ければ良い)

  ”過度の利己主義”  (自分さえ良ければ良い)

  一部では、”恣意的な評価”  (先生に気に入られれば良い)

はっきり言えば、そんなものを面白いと思える方が、異常だと感じます。


「努力の仕方」

「努力した者を認める風潮」

「フェアプレーでの勝者を正当に称えること」

「助け合いの精神」

そういったものを、「勉強」の中に盛り込んでいくことが、


”安心して勉強できる”


土台づくりとして大切だと感じています。



ポチっとお願いします。

blogramランキング参加中!


このブログの人気の投稿

640時間の夏休みチャレンジ:日常の中の無限の学び

はじめにの読書会(154)『パズルで解く 世界の言語』

『いちばんすきな花』が好きすぎて・・・カルタ作って正月遊ぼう