しつけと学問

ひとくくりに「教育」という中に、

  しつけに関することと

  学問に関することと

両方入り混じっていますよね。


ぼくも知らない、まだ大学に行く人の多くなかった時代(ぼくの親の世代でしょうか)、

  しつけは家及び地域でされるもの

  学校は学問をするところ

そういう位置づけ、役割分担だったのではないかと思います。


地域が崩壊し、核家族共働きが進み、価値観が多様化した現代において、

何がしつけか?誰が責任を持つのか?

その辺りがぐらついてしまったのが、今のさまざまな教育問題の根底にあるような気がします。


勉強のやり方、計画の作り方、習慣づくり、自己の確立を促すこと。。。

青山プレップスクールでやっているこれらのことは、しつけの延長なのかなとも思います。

丈夫な根っこができれば、多少栄養の少ない土地だろうが、

太陽が当たりにくい場所であろうが、立派に力強く育っていくはずです。

また、ある程度の「型」は必要ですが、がんじがらめに縛ってしまうわけではない、

というところは、個別に一人ひとりを見ていないと、やはり難しいと思います。

(本来は学校でやって欲しいと思うのですが、横並びの管理主義が変わるのには時間がかかるでしょう。。。)


一方、学問の方に目を向ければ、こちらも何やら雲行きが怪しいです。

結局は就職のための進学?

そんなちっぽけなところに押し込められて、面白いはずはありません。

  「数学なんて、私には関係ない」

  「日本で暮らすから、英語なんていらない」

すぐにそんな声が出てきてしまいます。

そうではないんだ。

  「少しでも多くの人を、少しでも幸せにするのが、

   そして、自分もちょっぴり幸せになるのが、学問」

じゃないですか?

小学生くらいならば、「楽しい」とかそういうことで良いと思いますが、

高校生くらいになれば、「自分は何のために生まれてきたのか?」なんてことも

多少は考えるはず。

楽しいことばかり探していても、楽しいことにはたどり着けませんよ。

わけのわからない世界に、知らない世界に飛び込むから、

楽しいこともあるし、そうでないこともたくさんあるし、でもだからこそ本当に楽しいことも見つかるのでは?



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